玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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たくましく生きていく

▼油断して、黒糖蒸しパンを焦がした。わざわざ黒砂糖を買いに行って作ったのに。黒砂糖が焦げるとものすごく嫌な臭いがする。いぶされた臭いがパン全体に染みついて部屋も焦げ臭くなる。一口食べてみたら、舌や喉の奥にイガイガ感が残って歯磨きしないと気持ち悪い。がっかりして情けない気分になった。小学生なら泣いていたと思う。私は泣かない。四十半ばなので。私は泣かない。

 

 

代わりといってはなんだが、ドラッグストアで買った『ちいさか黒ぼう』ばかり食べている。美味し。

 

 

 

▼またしても衣料品の『タカハシ』の広告が入っていた。新品の女性用ジャケットが170円で売られている。以前、400円弱でロングコートを売っていたが今度は170円とは。『ちいさか黒ぼう』の方が高い。あまりの安さに恐れおののく。奴隷を使って生産している疑惑が確信に変わった。材料は奴隷の皮。だってジャケットがピンクだったから。間違いない。見たんだ。

 

 

 

▼知人が小学校の保護者会に出た話を聞く。先生から、児童の名前は「さん」をつけて統一して呼ぶと説明を受けたとか。そこまで決めるのだな。「くん」「ちゃん」だと性が限定されるし、性的多様性を考慮した結果「さん」なのかな。私の頃は統一して呼び捨てにされていた。

 

学校で思い出したが、卒業式のニュースを見た。今年はコロナで行事も減り、卒業アルバムの制作にも苦慮しているとか。学生から「私たちの思い出は勉強だけですか?」と言われた先生が、卒業式に芸能人を呼んで思い出を作ってあげたというニュースだった。これは美談として取り上げられたのだろう。先生の優しさに、良かったなあと思う一方、釈然としない気持ちもあった。思い出を作るのは先生ではなく生徒の仕事なのでは。先生はサポートはするけれど。

 

生徒も行事がなくて不満かもしれないが、与えられた行事だけが思い出なのかなと思う。誰かがディズニーランドに連れて行ってくれることだけを楽しさと認識するのは貧しいのではないか。学校は友達とふざけたり、くだらない話をしているだけで、それだけで十分楽しかった。もっともそれすらできなかったという不満だろうけど。ただ、たいして不幸な状況でもない。学校に行くのに象の群れから隠れて行かねばならないとか、爆弾が落ちてくるとか、武装グループが誘拐にくるとか、そういうこともないのだし。

生きていれば困難な状況が起きることはあるわけで、その不満を「芸能人を呼んでくる」という方法で解消するのは子供のためになっているのか疑問だった。誰かが楽しさをくれるのを待つのではなく、自分から楽しさを探しに行く気持ちも必要だし、楽しさはそこら中にある。たとえ今、ヤクザに拷問されていても「どうにかして、この痛みを気持ちよくできないか?」とか「いかついヤクザを黒髪ロングでピンヒールの似合う女王様に変換できないか?」とか、私たちにやれることはいろいろある。

 

光は常にある。ちょっとやそっとの事で動じない、切り替えていけるたくましさこそが、先生が子供たちに与えるべきものだと思う。それは将来、必ず役に立つ。「大丈夫。これぐらいたいしたことじゃない」と大人が言う必要がある。先生は、生徒からコロナの不満を言われても「コロナって何? そのお菓子、流行ってんの?」と言い張ってほしかった。それぐらい超然としていてほしかった。生徒からは「あいつはほんと頭おかしい」と言われるけど。

 

あと卒業アルバムですが、男は集まったときに「〇〇組の誰がかわいい!」という話で盛り上がるだけなのでアルバムのことは気にしなくていいです。使い道それだけなので。卒業生に贈る言葉は以上です。

 

 

 

▼映画の感想『お茶漬けの味』を書きました。小津映画です。なんだかんだで観てしまうな。夫婦の在り方とか、そういう話。