玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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恨みを忘れて先へ進め

▼掃除機をかけているとすぐに電源が切れる。何度やっても切れる。掃除機内のゴミが一杯なのだろう。賢い掃除機なので、無限に吸い込んでゴミ袋が破裂するようなことはない。自動でスイッチが切れる。無理しすぎてパンクする会社員より賢い。学んでいきたいところ。物置をさぐったが、ちょうど替えの袋をきらしていた。ブラック企業の管理職のごとく「根性を出せ」と掃除機を叱咤し、なんとか掃除を終えた。人は立場で行動が変わる。

 

2台も焼いてしまったバスクチーズケーキだがもう食べ終えてしまった。さみし。作りすぎたので悪くなったらどうしようと心配していたが杞憂だった。楽しい時間は早く終わる。業務スーパーで材料を揃えれば400円ぐらいでホールが作れることがわかった。今後、2ヵ月おきぐらいに作っていこ。

 

 

 

▼緩い打合せを喫煙所で行うことがある。私は吸わないけれど、ここで頼みごとをするとリラックスするせいかいい感触が多い。S氏との打合せも終わり、雑談になった。

 

S氏は私と同じ40代半ば。年下から舐められていったほうがいいという話を聞く。やたら怖がられたり、偉そうだと仕事も頼みにくいし、物も言いづらい。舐められるぐらいがちょうどいいという。なるほど。40過ぎると正面から物を言われることも少なくなる。気づかないままにバカなことをしているかもしれない。年をとれば誰からも指摘してもらえない。親しみやすく、物を言いやすい空気を自分から作っていかないといけない。積極的に舐められたい。今後は全身にイチゴジャムを塗りたくっていく。

 

「そうだよなあ」とS氏に同意した。S氏は唐突に「俺、ピアス開けようと思ってんだ」と言い出す。どうした急に。ピアスなんか開けたら、それこそ物が言いにくくなるではないか。S氏はフリーランスで服装は自由だが、それでも男のピアスは何か怖い。さっきまでの話と真逆で驚く。S氏は懐に手を突っ込むとシガーケースを取り出した。パカッと蓋があくと、そこには葉巻が並んでいた。S氏は慣れた手つきで一本取り出し、葉巻の先端をシガーカッターで切り落とした。

 

S氏は「映画とかでマフィアが吸ってんの見るとかっこいいなと思って」と眩しそうに葉巻をくゆらせた。マフィアて。話しかけづらい職業第一位では。親しみやすい人になる話はどこへ。恐ろしいほど言うこととやることが違うな。来週、会ったらマイク・タイソンみたいに顔面にタトゥーが入ってたりして。反社になってそうで怖い。

 

 

 

▼以前、一緒に仕事をしたことがあるK氏に赤ん坊が生まれ、出産祝いにデジタルフォトフレームを贈っていた。

赤ん坊の写真を入れておけば自動で切り替わる。奥さんもすごく気に入ったと聞いていた。K氏は娘を溺愛しており、どうしても奥さんより先に娘から「パパ」と呼ばれたいという。奥さんは家にいてずっと赤ちゃんと接しているので、このままだったら絶対に「ママ」と先に呼ばれてしまう。「何かいい考えはありませんかね」と言われたことがある。どちらが先に呼ばれようがどうでもいいと思うけど、この心境は親にならないとわからないかもしれない。

 

赤ちゃんに奥さんのことを「ママ」と認識させなければいいのではないか。奥さんのことは名前で呼んだり、名前に「さん」や「ちゃん」をつけたり、「奥さん」と呼んだり、あだ名で呼んだり、呼称を統一しないことで赤ちゃんに「この人、なんて呼べばいいんだ?」と混乱させる。自分のことは必ず「パパ」と呼んでいく。赤ちゃんに「こいつは『パパ』なんだな」と強く認識させる。

 

その場限りの冗談だったが、K氏は粘り強くこの作戦を実行。どれだけ効果があったかは不明だが、娘さんに「ママ」よりも早く「パパ」と言わせたという。K氏は嬉しくて仕方がなく「実はこの作戦を密かに実行し続けていたのだ。作戦勝ちだな!」と奥さんに自慢したら、それが奥さんの癇に障ったらしく機嫌がすさまじく悪化。K氏の卑劣なやり方が気に入らないと、ほとんど口をきいてもらえないという。K氏は困ってしまい、あの作戦は私に入れ知恵されたと告白。奥さんはデジタルフォトフレームを無理な角度で抑えつけ、そのせいで足が折れ、自立できずに壁に立てかけているという。いいでしょう、いいでしょう。私が悪役になることで家庭に平和が訪れるのなら。

 

「それいつの話?」と訊くと「もう3ヶ月前になりますかね」と言う。「今は?」「今は前以上に険悪ですね」「そうなんだ」「そうですね」。特に解決はしていないそうです。はい、解散解散。