玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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問題解決についてのあれやこれや

▼SNSで相談や質問を受け付けている人がいて、なんであんなことをやっているのだろうと常々疑問だった。昨日、知人から仕事で起きている問題を聞いた。あまり悩むことなく答えが浮かんだ。これは私が優秀なのではなくて、人間関係のしがらみがまったくないからだと思う。普通、問題が発生すると自分が問題の中心か近辺にいる。そうすると人間関係や利害関係が発生する。問題解決のために話さなければならない相手がすごく面倒な人で、それだったら大変だけど自分で処理しようとか、今は忙しいからこの問題は棚上げにしておこうなど、本当はわかってはいるのに間違った判断をすることもある。人からの相談だと、自分は完全なる第三者になれる。しがらみから解放された判断ができる。

 

一刀両断で判断を下せることで、自分は頭がいいと錯覚できて嬉しい。これが人から相談を受けたがる人の気持ちなのかなあ。何かいいことをした気にもなれる。そんなことを考えておりました。問題を解決するときに思うのは、どうやったらこの「第三者の視点」になれるかということ。どうしても自分の立場だけから考えてしまう。第三者になることを実践しようとしたあまり、この前は「(お前が起こした問題のくせに)なんか他人事っぽくない?」と言われた。難しいところ。

 

知人の問題については、もう答えが出かかっているのだと思う。人に話してみるのもいい方法で、人に伝えるためには話を整理しなければならず、整理する作業をしているうちに自分の中で何が問題だったか見えてくることもある。それで解決することも多い。聞く方は、ただハイハイと聞いてくれればいい。

 

隣席のTさんからも「隣の部署の人が上からくるので大変」という話を聞く。問題を解決するときに、問題への対処ではなく、どうやって相手をねじ伏せるかみたいな人もいる。対象が問題ではなく、相手に向いてしまう。どうしてもこちらも相手をねじ伏せようと躍起になってしまう。勝っても負けてもあまりいい話にならない。勝ったところで虚栄心が満たされるだけで、負けた相手は恨みを抱く。その場は良くても、次に問題が起きた時に協力してもらえるとは限らない。相手をどうしようもない人だと見くびるのはやめたほうがいい。そういう負の感情は必ず伝わる。伝わればこちらの言葉は届かない。以前も書いたけれど「言葉を弾丸に喩えるなら信頼は火薬だ」という徳富蘆花の言葉もある。信頼がなければ人はこちらの話を聞いてくれない。自分をバカにしている人の話など誰も聞きたがらない。粘り強く共に問題を解決したいという意思を伝えて、アイディアを出し合うしかない。とはいっても、苦手な人いるんだよなあ。Tさんには「中世の貴族だったら嫌いな人、串刺しにできたのにねえ」と言ったら返事がなかった。聞こえなかったかと思い、もう一回言ったら「聞こえているけど無視しました」と言われた。しどい。

 

 

 

▼小池都知事のマスク。

 

漫画『呪術廻戦』のキャラにいそう。えぐい呪術つかってきそうな強キャラ感がある。

 

 

 

▼映画の感想『フランクおじさん』を書きました。同性愛者の映画。人に薦めたくなるようないい映画でした。