玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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不満が出ないケーキの分け方

明智光秀が主役のNHK大河ドラマ麒麟がくる』が終わった。友人は小学生の娘になにげなく「光秀まだ死んでないの?」と訊いたところ「はっ!? ネタバレとかあり得ないんですけど!」と怒られたらしい。たしかに小学生にとってはネタバレなのだな。世界がまっさらで新しいというのはいいな。記憶を消してまた司馬遼太郎吉川英治陳舜臣宮城谷昌光あたりを読み直してみたいな。もっとも、直近の記憶はどんどん抜けていくというのはある。先週観た映画をもう一度再生してしまい「なぜか、この先の展開がわかる‥‥」と思ってしまった。もうすぐ、すべてが新しくなる。おお、こわ!

 

 

 

▼二人の子供が一つのケーキを分けるとき、どうやったらお互いに満足できるか、完璧な分配方法があるか考えたことがある。正確にケーキをカットする機械を作るというやり方も当然あるのだが、切り手が最後に自分のケーキを取るのがいいと気づいた。このやり方ならば、切り手はなるべく公平にケーキを切ろうとする。

 

17世紀のイギリスの政治学者ジェームズ・ハリントンについての本を読んでいたら、このケーキの切り方についての話が出てきた。ただし、ハリントンはケーキから話を広げて国家による権力の暴走、監視、規制などについて説明している。三権分立などがまさにそうで、立法、行政、司法が分かれている。議員が立法して法案が国会を通過し、行政機関は法に基づいて行政権を行使し、法を犯したものは裁判所で裁判を受ける。それぞれ権力を分割、監視することで権力が暴走することを防ぐ。

 

ハリントンはケーキから権力の分割、監視まで思索を深めたが、私はただ単に「こうやったら文句が出ずにケーキが分けられる!」と思っただけだった。ここらへんが頭の良い人と残念な人の差(その差はとてつもない)なのではないか。古代ギリシャ人のエラトステネスは、一本の長い棒と井戸だけで世界の円周を測った。やり方はサイモン・シンの本に詳しく書いてあった。それを読んだときもショックで10分ぐらいグジグジしていた。私は棒は棒、井戸は井戸としか思っておらず、そんなものだけで世界の円周を測ろうなんて思ったことがなかった。やり方はこちらのサイトに紹介されていました。

 

今更こんなことで落ち込むことはないものの、落ち込まないからこそダメなのではないかとも思う。深く落ち込むような性格なら、真面目にいろいろやるんじゃないかしら。「世の中には頭のいい人がいますわな。わはははは!」で終わっている。完全に他人事。バカなくせに自己肯定感がとんでもなく高いのかもしれない。頭がいい人でも自己肯定感が低い人はいて、思いつめすぎれば自殺ということもある。頭など今更どうにもならない。自分の頭を適当に褒めそやし、適当に叱咤して、うまく付き合っていくしかないのでしょうねえ。またしても努力しない言い訳が一つ増えた。

 

 

 

▼読み返して、ふと思った。ハリントンは権力分立の説明をするためにケーキの喩えを思いついただけかもしれない。べつにケーキの話から思索を深めたということではないのかも。だとすると、ここまで書いたことがすべて無駄になる。それは嫌なのでこのまま載せます!