玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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気が利かない

▼毎日、寒いな。布団でぬくぬくするのが気持ち良い季節よ。できればずっとぬくぬくしていたいもの。こんなどうしようもないことを考えるのは中学生ぐらいまでかと思えば、四十半ばになっても考えるねえ。より考えるねえ。どんどんバカになるねえ。

 

 

 

▼作家の司馬遼太郎について書かれた物を読む。大勢で酒盛りをしていて、そこに遅れて入って来る人がいる。みんながなんで笑っているかわからず、なかなか輪に入りづらい。そんなとき司馬さんは今までの話をかいつまんで説明してくれるという。ちょっとした心遣い、優しさが大切なんだと思う。そんな気遣いを一つずつできるようになりたいもの。

 

私は本当に鈍くて気が利かぬ人間だから、気がつく人を尊敬してしまう。食卓に手作りの物と、インスタント食品が並んでいたとき、普通は手作りの物を先に食べて感想を言うべきなのだろう。恥ずかしい話だけど、こんな当たり前のことを40歳ぐらいまで気づかなかった。

 

20代前半の24時間くんに話したところ「そんなの小学生ぐらいで気づきませんか?」と言われて愕然とする。この人、サイコパスだと思ってたのに気づいてたのか。周りにも訊いたところ、みんなわりと気づいていた。「当たり前」と言われる。女性は料理をする人が多いので作る側の気持ちに敏感だ。もっとポンコツなのはいないのか。ゴリラ部長に訊いたところ「そんなこと気にしたことねぇなあ」と言っていた。わはははは。さすがゴリラ。ゴリラは駄目だな! 気が利かないんだよ、ゴリラは。

 

手作りの物から食べるようにと、人間界のルールを教え込んだ。自分より下の人を見つけて喜ぶ癖、いつか治りますでしょうか。

 

 

 

▼家でパソコンを使っているときは背後で音楽やラジオを流していることが多い。音楽に飽きたので国会中継を聞いた。今は質問の前に、コロナで苦しんでいる方の回復を祈ったり、医療従事者に感謝をしたり、亡くなった方にお悔やみを申し上げたりするのだな。ただ、質問に立った人が一人一人やるのでしつこく感じる。一日一回、開会前に議長が代表してやればいいのではないか。毎度毎度やるのが長すぎる。しかし、あれを「長ったらしいからやめろ」といえば不謹慎ということにもなりそうで難しいところ。

 

ずっと聞いていると本当にそう思っているのかな? と思ってしまう。みんながやるからとか、有権者へのアピールとか、そんなふうにも思えてくる。みんなが揃ってやめれば質疑の時間が増えるだろうし、それこそが国民のためという気もする。ごくたまに、こういった挨拶をせずにいきなり本題の質問から入る人もいて、そういう人にはかえって好感が持てた。

 

 

 

ユダヤ教にはシャバットという安息日があると知った。徹底して労働が禁じられており、ボタンを押すことすら労働になるからできないとか。すばらしい。なので、シャバットの日はエレベーターのボタンは全部押された状態になっており、一階一階とまっていくのだという。またそれは面倒な。待つのが面倒だから階段を使いたいところだけど、それも労働になるのだろうか。

 

 

 

鬱病についての漫画。

パラダイムシフト(EMI)

 

ひとりひとり症状が違うし、医者との相性もあるから、この治療法が一番ということはないのだと思います。あくまでこの方はこれで改善したということで。鬱病は自分がかかるかもしれないし、周りの人間がかかるかもしれない。鬱病の人と接するときにも役立つと思います。

 

 

 

▼映画の感想『タイガーランド』『キューポラのある街』を書きました。『タイガーランド』はベトナム戦争時の新兵訓練映画。ちょっと変わった戦争映画。『キューポラのある街』は高度経済期に突入した時代の貧困家庭を描いた映画。面白かったです。