玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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白靴下の猫

▼急に焼き鳥やら牛丼やらジャンクなものを食べたくなるときがある。いざ買いにゆかん、と外へ出る。交差点で猫を抱えたおばさんと、おばあさんが話していた。猫は白と黒の鉢割れで、左前脚の先が靴下をはいたように白くなっている。おばあさんが「白い靴下はいてかわいいのねえ」と言うと、猫は左前脚をすっとおばあさんのほうに出した。女王が拝謁した者に手の甲へのキスをゆるすような、そんな優雅な仕草を思わせた。おばあさんは出された猫の前脚を両手で包んで「あら~、賢いのねえ」と喜んだ。「この子、人の言葉がわかるの」とおばちゃんは言っていた。

 

たしかにその猫は二人の会話がわかったように前脚を出した。だが猫が靴下という単語を理解しているとは思えない。過去に「白い靴下」という言葉を聞いたとき、左前脚を出したことで褒められたとか、餌をもらったとか、なんらかの成功体験があったのではないか。言葉を理解するというより「白い靴下」という言葉が出たときに左前脚を出すといいことがある、人間が喜ぶ、という現象として捉えているように思われる。長々と何が言いたいのかといえば「猫かわいや」です。

 

 

 

▼お正月にやっていた『逃げるは恥だが役に立つ 2時間スペシャル』を観た。恋愛ドラマというより子育てやジェンダーについての問題提起が多く、うへぇと思い、あまり正視できなかった。ややこしい問題から逃げたくて楽しい空想の世界に行ったのに、そちらでもバトルをしていたという。ヨヨヨ‥‥。作品が良くても気分が合わないと楽しめないこともある。

 

解決されねばならない問題はたしかに多い。ドラマでは、主張は正しくても物の言い方で衝突を防げる場面も多くあるように感じた。以前、ある会議では、主張は正しいのに言い方がちょっとという人がいた。相手の不備を責めて、敵味方という図式を作ってしまう。敵味方ではなく問題そのものについてどう対処するかが必要で、人はしばしば問題ではなく目の前の人、見えやすい何かを敵にしてしまう。わかりやすい敵を叩くと楽しいものな。注意しよ。今年の抱負は「正直、無関心、寛容」とした。

 

 

 

▼雑誌をみると今年一年の運勢が載っていた。私は「目の前に戦わなければならない敵がいる」らしい。なるほどー。「準備をし、敢然と勇気をもって挑みなさい」と断言している。しかし、占い師については「誰もコロナを予言できなかったのでは」と思ってしまうな。そういう意地悪な客に対して、占い師はなんと答えているのだろう。難しい。私が占い師の場合、どう答えれば客の信頼を失わないか考えている。

 

 

 

▼映画の感想『銀座二十四帖』を書きました。1950年当時の銀座の様子が観られます。