玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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お正月

▼年末年始といえばたらふく食べて体重が増えてしまう。30代はそんな過ごし方をしていた。食卓にはクジャクの羽根がおかれ、満腹まで食べてはクジャクの羽根で喉を刺激して吐き、また食べることを繰り返す。それはローマ人だった。今や年末年始でもごく普通の食事をしている。そもそもお節料理を作らない。元旦はお雑煮だけ作った。昼にはもうチキンライスを食べている。お正月感がない。クジャクの羽根の出番がない。なくていいと思います。

 

ローマ人の美食へのこだわりは大変なもので、食道楽のアピキウスは莫大な財産の十分の一を食に費やしてしまう。アピキウスは、その贅沢な暮らしを長く続けることはできないと絶望して自殺したという。どんな理由だよ。

 

 

 

▼同級生からの年賀状をみると、みな健康のことを書いている。四十代半ばになってあちこちガタがきた。もうそんな歳。今までは私も「今年も死なないようにがんばるぞ~」などと書いていたが、うっかりすると死ぬ。そうでなくても親戚が亡くなったりして、くだらない冗談も書きにくい。相手がどんな状況で年賀状を受け取るかもわからない。「今年もなるべく死なないようにがんばるぞ~」と書いた。これで大丈夫。

 

 

 

▼紅白、ガキの使い、格闘技などをザッピングしつつ本を読んで年越し。今、読んでいる本は『塩鉄論』がよく引き合いに出される。『塩鉄論』は紀元前81年(前漢の時代)に皇帝の前で開かれた塩や鉄の専売制についての討論会。『塩鉄論』自体を読んでいないので、意味がよくわからない箇所がある。老子の言葉が引用されている。

 

「富が満ちているように見えるときほど、国が貧しいときはない」

 

塩の専売制(国が独占的に塩を高値で売る)によって国が儲ければ民が困窮するという意味なのか、国が利益を追求することによって民もそれにならい、人心が荒廃することを嘆いているのか。『塩鉄論』の中で儒学者は国が利益を追求することを諫めている。「なぜ王は『利益』という言葉をお使いになるのか? わたくしが関心を持っているのは良きこと、正しきことだけである。もしも王が『どうやって我が国に利益をもたらそうか?』とおおせられるなら、高官たちは『どうやって家族に利益をもたらそう?』と言い、家臣や庶民は『どうやって己は得をしよう?』と言うようになるだろう」。

 

二千年もの遥か昔、朝廷でこのようなことが真面目に議論されていたことに驚く。今や上も下もお金のことしか言わなくなってしまった。二千年たったが自分が過去の人より良き人となっているかは疑わしい。というか、絶対なってないのだ。ヨヨヨ。『塩鉄論』読もうかなあ。4000円近くするんだなあ‥‥よ、よんせん。一回読めればいいんだけど。よんせんかー、と思いながら今年も始まりました。本年もよろしくお願いいたします。お互いなるべく死なないようにがんばりましょう。

 

 

 

▼映画の感想『2020年に観た面白かった作品』を書きました。映画よりもシリーズものを多く観た年でした。