玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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右の心臓

▼里芋の煮っころがしを作る。煮物はあまり作ったことがなかった。レシピが良かったのか美味しくできた。祝着。ほほほ。

 

 

▼最近、物語をまったく読んでいなかった。図書館に行って何冊かみつくろってきた。『100万回生きた猫』の著者、佐野洋子の子供時代のことを書いた『右の心臓』を読む。

 

 

子供時代の思い出を美化するでもなく、過度に醜く描写するでもなく、冷たく淡々と描いている。よくここまで突き放した視線を持てるなと感心してしまう。昭和や田舎の嫌なところがてんこ盛り。

 

戦後の貧しい田舎暮らしの様子が伝わってくる。佐野洋子は中国で生まれ、一家は日本へと引き揚げてきた。父親の実家での生活には差別がついてまわる。当時は、家督をつぐ長男が偉く、次男以下は厄介者になってしまう。食べ物も長男一家はまともな物を食べているが、洋子たちには腐ったサツマイモが与えられる。

 

村の男たちが共同でおこなうイノシシ狩りに、洋子の父親は連れて行ってもらえない。狩りから帰った男たちは立派なイノシシを仕留めてきた。イノシシをさばく男たちの後ろを、父親が手伝おうとウロウロするが誰も彼に声をかけない。父親はニコニコと笑っているが、何もできずにいる。普段、家の中では威張っている父親が媚びている姿。子供からすれば、もっとも見たくない父親の姿だろう。洋子はそんな父親を冷静に見つめている。ほんとね、読んでいて「ぐぇ~」って変な声が出る。もう、そんなへんなとこばっか見んなよう。父親が無視されるのは、彼がこの時代には珍しい大学出ということもあるのだろう。

 

洋子の兄は生まれつき心臓が右にあり、体が弱かった。今の時代ならば周りも気を遣ってくれるだろうけど、ここではまるで逆だった。兄の同級生たちは、集団で彼を殴ることを決めている。なにその予定。妹は独自の情報網によって兄がボコボコにされることを知っている。一度は上級生にかばってもらえたものの、結局、兄はボコボコにされる。面白いのはボコボコにされた後、とりあえず遊び仲間には入れてもらえたようなのだ。子供ならではの通過儀礼なのだろうか。荒々しい時代。しかし、殴られた後、仲間に入れてもらえたのだから大人社会よりマシなのかもしれない。

 

そんな兄は体が弱く、ある日、死んでしまう。父の知り合いが訪ねてきて、兄が死んだことを知って泣く。洋子は兄の死を悲しみつつ、訪ねてきたこのおじさんがもっと泣けば面白いのにと思っている。不謹慎というのとは違って、奇妙に同居するいくつかの感情を素直に描写している。人にはそういう気持ちはあるし、それを隠さずさらけ出しているのがすごい。母は洋子より兄を愛し、父は兄より洋子の方を愛していて、洋子は敏感に愛情のかたよりを察している。両親は平等に子供を愛せない。洋子はそんな親を責めるでもなく、ただ冷静に見つめている。兄が亡くなった後、母は洋子に優しくなる。兄を失った愛情の行く先が自分にきたのか、それを嬉しく思う心と嫌に思う心、両方を感じているのだ。

 

兄の遺体が棺に入りきらず、親戚の人間は兄の足を折って無理に棺に入れてしまう。洋子に兎の耳を持たせて兎をしめる描写なども生々しい。生と死が身近にあって、目を背けることなどできない時代が少し前までにはあった。これ、児童文学なのかな。荒々しく生々しくて「ぐぇ~」となるからこそ、いいのかもしれない。

 

 

▼映画の感想『ボヘミアン・ラプソディ』を書きました。成功した人間が仲良くやるって本当に難しい。面白かったです。