玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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嫌悪感の正体

▼昼は、タコの炊き込みご飯を炊いた。おこげを作りたかったが普通に炊けてしまう。おこげあっての炊き込みご飯なのに。水分が多すぎたのかな。しかし、初めからうまくいくのも案外つまらないもの。よしよし。次こそは、おこげを。夜は、余った炊き込みご飯をおにぎりにして食べる。よしよし。

 

コロナで人と会えないせいか、ばったり知り合いと会うと嬉しくて長話してしまうな。

 

 

 

▼漫画『鬼滅の刃』の話をよく耳にするようになった。駅で電車を待っているときなど、人が話しているのを聞くこともあり、本当に流行っているのだな。先日の会議でも50代の方が「全集中で」と漫画のセリフを引用していた。それから、しばしば「全集中」という言葉を聞くようになった。以前、国会答弁で菅首相も使っていた。

 

偏屈なのか、照れがあるのか、素直に流行りの言葉を口にできない。ゴリラ部長が「今日も全集中でいくか!」などと言っていると「ジジイなんだから平家物語でも引用しときゃいいのに」と思ってしまう。言ってしまう。叩かれてしまう。なんだろうなあ。『鬼滅の刃』を直接全部読んだという中高年は少なくて、家族に聞いたとか、付き合いで少し観た程度だと思う。若者文化をわかってます、みたいな態度が嫌なのだろうか。

 

オタク特有の「にわかが許せない」という心境なのかな。そもそも最初は誰もがにわかで初心者。コンテンツを楽しむのに、にわかもオタクもない。みんなで自由に楽しめばいい。そんなことは重々承知しているつもりでも、なにやら拭えぬ嫌悪感。上辺をちょろっとなぞった態度が気に入らないのだろうか。

 

インディーズバンドのファン心理のような。応援していたバンドがついにメジャーになり、今まで興味もなかった友人が「あの曲いいよね」と言うやいなや「いや、あのバンドのコンセプトが色濃く出ている曲はシングルカットされていなくてアルバムに入っているこれで」など語り出すアレか。実に面倒なやつ。今まで日の当たらぬ時代を応援してきた自分たちの献身が、昨日今日、バンドを知ったばかりのファン未満のようなやつにしたり顔で語られることが許せないという。その不寛容、攻撃性が世の中を息苦しくしている気がする。

 

しかしですよ、私は『鬼滅の刃』をずっと読み、応援し続けていたわけではない。流行ってから、さらっと1度読んだ程度なのだ。まさに、にわか。だとすると、なんなのでしょう。流行語をてらいなく使う軽薄さが嫌なのだろうか。使っても、何も悪いことはないのに。不思議なことに若い人たちが使う分には嫌悪感をおぼえず、中高年が使うと嫌な気がするのだ。似合わないからか、それとも若者への迎合を感じるのかな。理由は一つではなく、いくつかの感情が複雑に混ざっているのかもしれない。だが、なによりも寛容さが大切だ。それはそれとして、ゴリラ部長の口を縫うための針と糸を買いに行く。