玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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選択的夫婦別姓

▼賢いちゃん!

きちんと引き出しを閉めて完全犯罪。「そうだ! 引き出し閉めとかなきゃ」と気づくのがかわいい。そこら辺のコンビニ強盗より計画性がある。上司になってくれんか。

 

 

 

▼選択的夫婦別姓制度のニュースを読む。

 

女性の社会進出も進んでおり、いいことに思える。かつては夫婦同姓ということも意味があったのかもしれない。商売屋などで男が家督をつげば、自然と男の姓(苗字)が使用されてきたという流れも理解できる。今は会社勤めの人が多く、家で商売を営んでいる人のほうが少ないだろう。それに結婚しても共働きが当たり前になった。制度の見直しも必然に思える。

 

法務省の「我が国における氏の制度の変遷」のページを読んだ。江戸時代は農民・町民に氏(姓)の使用は許されず、武士や公卿に限られた。明治時代に入り、明治3年9月19日太政官布告(平民苗字許可令)において平民に氏の使用が許可される。以前に授業で聞いたが、これで平民が喜んで姓を付けだしたかといえば、そうじゃなかったんですね。姓の普及は遅々としてすすまなかったという。

 

というのも、まだ明治になりたての時代、少し前まで新政府軍と幕府軍の間で戊辰戦争をしており、世の中は混乱していた。庶民にとっては、お上が変わっただけで、なんだか上のやることはどうも信用ならない。姓をつけたら税金でもとられるんじゃないかと恐れて、姓が普及しなかったという。今から考えると「そんな信用しない?」って思いますけども。姓を普及させるために政府は、5年近くたった明治8年2月13日に太政官布告(平民苗字必称義務令)を出す。必ず姓を名乗りなさいと法で定めてしまった。法務省のページによれば「兵籍取り調べの必要上、軍から要求されたものといわれる」とある。欧米列強の脅威が迫り、軍を整える必要があった。徴兵逃れは許さないということなのかな。それからの日本は1894年の日清戦争を皮切りに10年ごとに大きな戦争を戦っていくことになる。

 

面白いのは明治9年3月17日に出された太政官指令で、その内容は「妻の氏は『所生の氏』=(実家の氏)を用いることとされる」とある。明治初期は夫婦別姓だったんですね。奥さんは実家の姓を名乗れという命令だった。だが、政府の命令にもかかわらず「妻が夫の氏を称することが慣習化していった」とある。当時、外に勤めに出ている女性はほとんどおらず、夫と同姓にしたほうが便利だったのでしょう。政府の命令を無視して夫の姓を名乗ってしまうのが面白い。明治時代などは上から押さえつけていたような印象があったのだけど、意外と庶民はしたたかで、お上の言うことをすんなり聞いていたわけではなかったのかな。この後、夫婦同氏制(夫婦は同じ姓を名乗りなさい)が法律で定められるのは明治31年になる。

 

こうしてみれば氏というのはたいして歴史があるわけでもない。160年程のものなのだ。ばんばん制度を変えたらいいでないの。私はそもそも姓にこだわりはないし、自分の姓が変わろうが、新しい何かになろうがどうでもいい。それでも夫婦が相談して姓を選択できる仕組みは、いいことに思える。もし、自由に姓をつけられるなら画数が短いのがよい。漢数字の「一」で「にのまえ」と読ませるトンチ系の姓があるが、自由に変えられるなら、にのまえさんになりたかった。

 

 

 

▼映画の感想『特捜部Q カルテ番号64』を書きました。デンマークのサスペンス、特捜部Qシリーズです。相変わらず、地味、暗い、カールがたえずイライラしている、といういつもの展開。まさに、好きな人は好き、という作品。