玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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同じ経験をしても

▼おにぎり君というあだ名の力士がいる。関脇の隆の勝。

 

 

力士は土俵に上がったあと、塩を撒き、気合を入れ、体を拭いてから取り組みにのぞむ。体を拭いたタオルは呼出といわれる世話係に渡す。力士によって渡し方が違う。放り投げるように渡す人、無造作に片手で渡す人、両手で渡すがタオルはグシャグシャの人、隆の勝は自分の両手の上にきちんとタオルの四隅を揃えて渡す。所作がいい。応援していく。隆の勝はおにぎり君というあだ名だけど梅干しが嫌い。応援していく。

 

 

 

▼靴を磨き、年金、保険、公共料金の領収書を整理し、さらには包丁を研いでから豚汁ときんぴらごぼうを作った。その後にブログを書いている。少し前にはやった丁寧な生活などとは関係がない。あれです。学生時代、テスト勉強しなければならないとき、急に部屋の掃除を始めてしまう現象。テスト勉強が厄介な仕事に置き換わっただけ。人は簡単に成長しない。

 

あの厄介な現象に名前を付けたい。テスト前に掃除しちゃうアレ。名前を付ける前に、ブログを書く前に、やらねばならない仕事が残っている。もう逃げる先がない。ヨヨヨ。

 

 

 

▼しかし、現実逃避の先がなぜ掃除なのか。漫画を読んだり、ゲームをやったりすればいいものの、そこまで娯楽に寄るのは心苦しい。せめて少しでもためになることを、そんな葛藤の上で無意識にえらばれたのが掃除ではないか。さっさと勉強しなさいよという話なんですけどー。いや、そんなことはわかっているのだ。わかっていて、なお、ということが人間にはある。

 

森博嗣さんが「やる気を出す必要はない。やればいい」と書いていた。以前も書いたが、これは目から鱗だった。何かをやるとき「やる気を出す」というステップが必要だと思っていたが、これは誤解なんですね。「やる気を出す」という無駄な作業が増えてしまう。何か始めようと思ったら、ただ始めればいいのだ。やっているうちにやる気が出てくる。何事もまず始めるのだ。

 

そして人は、わかっていても、なお、というものなのだ。ヨヨヨ、ヨヨヨ。やんなさいよ。

 

 

 

▼総務の人と喫茶店へ。彼女は一杯目のジュースを飲み終え、おかわりを注文した。二杯目のジュースは一杯目よりあきらかに量が多かった。彼女は五十歳近いが「得した!」と子供のように喜んでいた。

 

なるほどなあと感心する。私ならば同じように喜べるかなと思う。一杯目が少なすぎたとか、店員の仕事が安定してないとか、そんなふうに思うかもしれない。物事を肯定的、楽観的に受け止めたほうが楽しいし、感じる幸福も多いだろう。同じ物事を経験しても解釈はその人次第。考え方によって幸福にも不幸にもなる。

 

素直に「得した!」と喜べる人が一番で、その境地に達したいが難しい。「そう考えたほうが楽しいから、そうしよう」というのが私がいる場所で、どうやったら素直に喜べるかを考えている。難しい。白い粉を鼻から吸う。これしかないと思うんですよね。間違いない。