玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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生類憐れみの令

▼「なぜ兎は一羽二羽と数えるのか」というクイズ。ま、一匹二匹とも言いますけどー。答えは次の次の段落で。

 

 

 

▼光陰矢の如しで八月も半ば。お盆休みも終わった。ゴリラ部長は、今年はコロナを言い訳に奥さんの実家に帰らなかったという。あのようなゴリラでも義実家では気をつかうのだから、帰省しなくてすんで内心ホッとしたという人も多いのだろうなあ。私も義実家の冷蔵庫を勝手に開けてビールをぐびぐび飲むようなアウトローになりたかった。来世、がんばる。

 

 

▼【答え】江戸幕府5代将軍徳川綱吉の時代、生類憐れみの令が出された。この法律では殺生が禁じられていたが、鳥は殺生禁止に含まれなかったため、兎を鳥であると言い張って食べたというもの。そのため一羽、二羽という数え方になった。諸説あります。つっこみを避けるため「諸説あります」で逃げるの、歴史話あるあるだな。

 

生類憐れみの令はあまりに理想主義的であり、極端な刑罰(流罪、死罪)などが適用された悪法であるものの、内容を読んでみると動物愛護や児童福祉についても書かれているんですね。捨て子を育てなければならないとか、捨て犬に餌を与えてはならない、犬・猫・鼠に芸を仕込んで見世物にすることの禁止、蛇使いの興行禁止、病馬を捨てることの禁止、病気の犬にも餌をやらなばならない等、生き物を大切にしようという精神は伝わってくる。庶民の生活にそくした運用がなされれば、まともな動物愛護法として評価を受けたかもしれない。動物愛護法は特に珍しいわけでもなく、7世紀後半の天武天皇持統天皇の時代にも出されている。

 

 

 

▼24時間くんがマニュアルを守ろうとするあまり失敗した話を聞く。応用がきかない顔してるもんなあ。マニュアルに不備があったのも確認したが、ちょっと機転をきかせれば回避できるミスだった。マニュアルを絶対視しすぎる。

 

雑談中に玉勝間(たまかつま)の話をした。玉勝間は江戸時代の国文学者 本居宣長(もとおりのりなが)の随筆。この中で宣長は師である賀茂真淵(かものまぶち)の説と自説は、食い違うことが多いと書いている。だが、それでいいのだ。師の説が正しくないことを知りながら、それを包み隠して取り繕っているようでは、ただ師ばかりを尊んで学問の道を大切に思わないことだと結んでいる。本当に大事なのは真理であり、間違っているなら尊敬する師だろうが前任者が苦労して作ったマニュアルだろうが、直さなければならない。

 

24時間くんは納得した様子で去った。その後、話しかけてきたのが隣席のTさんである。「いいお話でしたねえ。校長先生の話かと思っちゃった」と、ニヤニヤしている。「いやあ、まさか、賀茂真淵とか玉勝間とか、よくわかんないけど博識ですよねえ」「なにかトゲを感じるけど‥‥」「『宣長は玉勝間の中で』なんてドヤ顔でしゃべってるから、え、なになに? 本居宣長とお知り合い? お友達?と思っちゃって。フフフ。やっぱり、そういうのって『明日、あいつに宣長の話、言ってやろう』みたいに考えておくんですか?」などと畳みかけてくる。なんてイヤな女だ。趣味は「カフェめぐり」ではなく「真綿で首を締めること」だと思う。

 

たしかに私は調子に乗っていたかもしれない。たとえが恥ずかしすぎた。そんな変な話しないで、普通にマニュアル直してもらえばいい。ちょっと言ってみたかったんだよおおおお。それがこれほどの辱めを受けるとは。恥ずかしさで石になったので、以降のTさんの話は聞いていない。それからも、しばしば「マブチさんはお昼どうするの?」などと、その日ずっと私のことをマブチと呼んでくる。駄目だ、こいつはもう埋めるしかないと思いました。あと、玉勝間を書いたのは本居宣長なので、それを言いたいなら「ノリナガさん」では。どうでもいいわ。

 

Tさんが席を立ち「みんなにもこの話してこよー」と給湯室に向かったので、絞め殺して埋めた。生類憐れみの令に背いたから死罪だと思ったが、私はTさんのことは一羽と認識していたので無罪でいいと思います。