玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

このブログの内容はすべてフィクションです

崖の下から見上げている

▼連日38度以上の猛暑。40度という気温もチラホラ出始めたのが恐ろしい。あちちちち。コロナは関係なく、オリンピック開けないかもなあ。死者が出る。

 

この時期、ガスを使うのは本当にしんどいな。あまりの暑さでヤケになり「暑いときはラーメンだな!」となった。美味しかったものの、やはり、逆らうことはないんだ。ヤケになってはいけない。滅茶苦茶に暑くなり汗がとまらない。夏はソーメンに限る。素直に生きていく。

 

 

 

▼伯母から連絡あり。以前、伯父が入院したときにお見舞いを渡したがそのお返しに何がいいか訊かれる。候補の中から桃を選ぶ。桃、美味しいんだけど剥くのが面倒なんだよな。もらうのに贅沢なことを言ってはいけない

 

伯母から、赤紙召集令状)を模したチラシが配られたというニュースを聞く。終戦75年ということがあり、そういったものが配られたのだろう。ニュースは「チラシを受け取った人はそれぞれ平和をかみしめていました」と締められていた。それが許せないらしい。「平和をかみしていたかどうかなんて、本人以外わからないじゃない!」と怒る。たしかにそうなんだけど、そんなに興奮しないでも。使っているほうも、常套句として使っているだけだろう。

 

歳をとれば丸くなるなど嘘だな。どんどん尖がって過激になる。怖いもんがないんだよ、年寄りは。無敵の人である。伯母は80歳を超えて一層尖ってきた。第二次反抗期が始まっている。箸が転げてもムカつくお年頃。将来、暴走族を結成しないか心配だ。90歳になったときが恐ろしい。「元気?」と訊いただけで眉間に釘を打ち込まれるかもしれない。もはや狂人。

 

伯母をなだめて桃を送ってもらう。

 

 

 

内田樹さんがブログに小津映画の感想を書いていた。鋭い洞察力と豊かな教養がないと書けない内容。しかし、それは作品のマニアックな知識やトリビアに基づいたものではない。情報ではなく、作品のもっと深い部分、魂的なところを汲み取っているように思える。それは映画の感想だけでなく、エッセイでも感じるところだけど。小津監督はそんなこと考えてないんじゃないのかな、というものもある。ここらへん、正しいのか間違っているのかは難しい。本人が意識しておらず、作品に滲み出てしまうこともあるだろうし。また、正しくないにしろ仮説として面白いんですよね。こういうものは書けない。

 

なにせ私の感想など「ニコラス・ケイジの顔芸が面白い」というものばかり。どうしようもない。私など父親の金玉から人生をやり直したほうがいいのではないか。品がないことを書いた。お父様の睾丸からやり直したらよくってよオホホホホ、である。やはり、暑さは人をダメにする。考えて書いてないからな。勢いだけ。

 

なんだか少し落ち込んでしまった。嫉妬ではなく羨望。嫉妬するほど近くまでいけない。ただ、羨ましいのです。内田さんのような物の見方ができると、どういった景色が見えるのだろう。はるか崖の下から見上げている気分。とはいえ、今更急に鋭い洞察力も豊かな教養も身につくわけがない。地べたを這うアリには、アリにしか見えない景色がある。それもまた突き詰めれば豊かな景色となるのではないか。そして、私は今日も「ニコラス・ケイジの顔芸が面白い」と書き続けるのです。進歩がない。

 

アイス食べてこよ。