玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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7月

▼ネギの根っこを切ってプランターに差していたものが育った。豆苗も切ったあとに根っこを水にひたしておくと2,3回、伸びてきて収穫することができる。金額など50円、100円の話だが、何か得をした感じが嬉しいというか。つい、買ってきては増やして喜んでいる。楽し楽し。今度はスプラウトを水にひたしている。

 

 

 

▼まばたきをしている間に7月。時間の使い方が下手すぎるのかな。

 

昼の衛生映画劇場で1951年の映画『クォ・バディス』がやっていた。オープニング、赤い画面に「OVERTURE」(序曲)と表示されて音楽が流れる。そこから映画が進まないんですね。今ならば出演者・スタッフ名などがすぐに出るのが当たり前だけど、この「序曲」を何分か聞かされる。序曲が終わると、また音楽が流れ、ロバート・テイラー、デボラ・カーなど出演者・スタッフ名がようやく表示されるのだった。まだ始まらんのかーい、という。悠然としておるね、昔の映画。現代との時間の流れの差を感じる。

 

動画配信を観るとき、1.25倍か1.5倍で観ることが多いので、待てない体になっている。

 

 

 

▼あるキャンペーン商品をVtuberを使って宣伝したらどうだという話が出た。なるほど、うんうん、としたり顔でうなずいていたもののVtuberが何か知らないという。あれでしょ、キズナアイでしょ。その5文字以外、何も知らないけど。知識が5年前で死んでるからな、私は。

 

いくつかVtuberの人たちの動画を観た。信者のようなファンがついて、スパチャという投げ銭システムでチャリーンチャリーンとお気楽極楽に稼げているのかと思っていた。スパチャをもらった場合、配信者はその人のコメントと名前を呼んでお礼をいう習慣がある。しかし、そんな簡単なわけでもない様子。人気の良し悪しによっても大きく違うだろうし、いろんなファンがつくから大変そうだった。

 

配信を見たら「膜があるの?」「ねえ、それで膜はどうなの?」「膜があるかどうか、それだけ教えて! お願いだから!」などと、しつこくスパチャを連発してからんでいる人がいた。配信者はスパチャくれてるのに完全無視でしたが。膜というのは前後の流れをみると処女膜だった。もう地獄だな、Vtuberも。そこまでして聞きたいのか、それ。コロナで頭ぶっこわれたのか。テレビのように放送コードがないからか、余計ひどいことになっている。えらい方向に進化している。

 

 

 

▼ドキュメンタリー『お久しぶりです、武漢ーー日本人監督が見た武漢』(監督:竹内亮)

YouTubeで公開されています。都市封鎖が解除された武漢。市民10人に話を聞いたドキュメンタリー。面白かったです。(※日本語字幕がつきます。右下の設定アイコンから日本語字幕を選択。)

 

武漢は人口が1089万人で東京に近い大きな都市なんですね。あまり見ることがない中国の普段の街並み、一般市民の生活が興味深い。撮影に協力してくれた武漢市民たちは本当にそこら辺にいそうな普通の人なんですよね。武漢の人たちはPCR検査を受けているからか、ごく普通に握手していて驚く。

 

ただ、差別はあるらしく、武漢で作った商品だとよその省で受け取りを拒否されるとか、今まで仲良くしていた近所の人がよそよそしくなったり、これは今後、日本でもあるのかもしれない。私が知らないだけでもうすでに日本でも同様のことが起きているのかも。中国は医療従事者は観光施設が無料になるなど、医療従事者への感謝も行われていた。コロナ対策のために10日で建てられたという雷神山医院も出てきます。

 

そもそも中国のごく普通の暮らしを見ることもなく、それだけでも珍しかった。日本でも昔はそこら辺にいた上半身裸のおじさんとか、ルイ・ヴィトンを加工して作ったカバンを堂々と商売にしている人とか、屋台の食べ物(80円だけど美味しそう)とか、結婚を間近に控えたごく普通のカップルとか、そんな日常を見ているだけでも楽しい。武漢は魅力的に映りました。

 

ただ、当たり前ですが政府に対してのコメントは一切ない。武漢の人たちはどう考えているのか気になりました。