玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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昔の言葉に囲まれて

▼友人と将棋を指す夢。一手、指すごとにシェフが巨大な寸胴鍋から盤上に具沢山カレーをかけてくる。盤面を確認するためにいちいちカレーを払いのけねばならない。なにこれ。どんな奇妙な状況でも自然と受け入れてしまうのが夢。でも、あまりにバカげていて夢だと気づいたのは初めてかもしれない。新しい。

 

だいたい「で?」という話から始まる日記です。

 

 

 

▼アニメ『ヴァイオレット エヴァ―ガーデン』を観る。風景の美しさに驚く。もうちょっとやそっと綺麗でも驚くことなどないわけで、それでも驚いてしまった。泣いたからといって良い作品というわけではないものの、10話はなあ。泣く。涙のおいはぎ。私は子供がつらい目に遭う作品に弱い。大人はいくら苦しんでも平気なんですけど!

 

問題のある文章を書いてしまった。毎年6月終わりに、上半期に観た作品ベストいくつみたいなのを書いていますが、今年は今一つとびぬけた作品がなかった。ここにきて1位が出たのではないか。さあ大変なことになってきたぞ。などと言っても、決めてるの私ですが。

 

 

 

▼今思えば、あれだけ滅茶苦茶に叩かれていたパチンコ屋からまったくクラスターが出ていない。会話しないということが大事なのだろう。叩いていた人がパチンコ屋に謝罪に行ったという話も、ついぞ聞いたことがない。人はそういうものだといえばそうなのだろうけど。

 

 

 

遠藤周作の未発表小説『影に対して』が見つかったというニュースを読む(NHK)。

 

私は本の読み方が滅茶苦茶で、古本屋に行って適当に選んだものを本棚に突っ込んでおいて何年か経ってから手に取る。新旧もごちゃまぜになってしまう。偶然、読んでいたのが遠藤周作の『ピエロの歌』だった。昭和50年が初版だけど、だいぶ前とはいえ女性の描き方がひどいので驚く。

 

「彼女はすぐに女性特有の自己弁解を始めた」とか「大体がブスと相場のきまっている大学院の女子学生」とか、周作、大丈夫か。小説の登場人物の思考や発言ではなく、状況を説明する地の文として書かれている。時代が時代とはいえ、である。現代とのギャップが面白いが、昔の小説を発見しても、今そのまま出版できるものなのかなとも思う。発見された小説も読んでみたいところ。

 

昔のものばかりに触れていれば、影響を受けて無意識のうちに思考が差別的になることもあるのだろうか。気をつけたい。4,50年前やそれ以上前の物も、しばしば手にする。私は周りの人と話が合わないことがあるが、古い物ばかりに触れている影響かもしれない。自分のコミュニケーション能力の低さや性格のゆがみではなく、触れた文物のせいにしていこう。積極的に現実から目を背けていこう。そうしよ。こうして、また新しい言い訳を一つ手に入れた。人は日々、成長する。

 

 

 

ジャニーズ事務所を退所した手越祐也さんの記者会見を見る。あまりよく知らず、イッテQの面白い人という印象。物怖じせず、すごくよく喋るんですね。会社の総会や集合住宅の理事会などで人が吊るし上げられるところを幾度か見てきたけど、なかなかあんなに堂々と話せない。言葉に詰まったり、支離滅裂になることもある。あの歳でねえ、とものすごく感心した。険悪な雰囲気にならなかったのも珍しい。普通、嫌な質問をされると回答も棘のあるものになり、質問者の方もその棘を受けてますます棘のある質問をするという悪循環に陥るのだけど、会見は終始、和やかな雰囲気だった。

 

では、会見が成功かといえばそうでもなく、ネットニュースなどは否定的な意見が多かった。不思議。良かったと思うんだけど。そもそもなんで会見を開いたのかも知らないが、視聴者が期待したものと違ったのかな。最近の謝罪の傾向は、不祥事を起こした人に近い人(コンビの相方、配偶者など)が不祥事を起こした人を強めに一発殴るところから始まる。本当に悪いかどうかは別として、ご心配もご迷惑もかけられていない世間の人々に、深々と謝罪するところがスタート地点であり、決まり事のようになっていた。謝罪がクレーマーによるスポンサーへの突撃や炎上を避ける最適解なのだろう。よくない習慣に思う。特に謝罪もなく、これからの手越祐也から入ったのが反感を持たれたのかな。難しいもの。