玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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ピーク判定委員会

▼家の整理。缶を開けると湿気った大量の海苔を見つける。あるところには、あるのだなあと感心。そういうことは、普通はお金にいうものですけど海苔である。特になくてもよかった。大量の海苔を前に途方に暮れたが、海苔の佃煮を作ることを思いつく。レシピ通りだと少し味が濃いものの、うまくできた。十分もかからずできるので簡単。ほほほ。まだまだ海苔はあるので今後、何か月分かは海苔には困らない。仕事はまだない。

 

 

 

▼とはいえ、打ち合わせ。4,5人で雁首そろえてだらだらとゆく。30度を超えて暑い日。住宅街を通ると中学生か高校生かわからないが、家の前で制服姿の男女が立ち話をしている。女の子は犬を抱きかかえている。飼い犬を男の子に見せているのかな。家にあげれば良さそうだけど、そこまででもない微妙な間柄なのだろうか。二人ともとても楽しそう。

 

「人生のピークだな」とつぶやく。一緒にいた数人が「たしかに」「ピークだ」とうなずく。「何言ってんですか。もっと他にもピークありますよ‥‥ありますよね~?」とお菓子ちゃんが周囲に同意を求めるが、誰もうなずかなかった。「いや、あれこそがピークで残りの人生など余生」と言い切った。お菓子ちゃんがゴリラ部長に「幸せってもっと他にありますよね?」と訊いたところ深いため息をついて「どうかなあ‥‥」とつぶやいた。ゆっくりと空の一点を見つめた。「動物園の臭いがするからイヤ」と、娘から言われた男の絶望は深い。ゴリラだからしょうがないのでは。

 

ともあれ、打ち合わせ場所へゴー。リモートでよかろうよと思うのだけど、やはり直接会うことに意味があるのかもしれない。リモートだと抜け落ちる情報があるように思う。悪い報告や先方への謝罪はメールでするなというのは上司から念入りに指導されてきた。よっぽど巧みな文章は別として、文章のみだと口調や雰囲気が反映されにくい。コミュニケーションは言葉の他にも声色、表情、視線などさまざまな要素があり、メールだといろんな情報が抜け落ちる。言葉にできないものだけど、伝わってきた大事な何かも多いのだろう。

 

同様に、ビデオ会議でも抜け落ちる情報があるかもしれない。画面に映っているから、すべて伝わるように錯覚するかもしれない。でも、それこそ雰囲気、オーラ、気だとか、説明できない何かがあるようにも思うのだ。ずいぶんと怪しげな話になってきました。このブログを最後まで読んでいただいた方には、幸運を呼ぶネックレスを今だけ、今だけ特別価格でお分けしたい。

 

 

 

▼打ち合わせは無事終了。リモートで良かった。マジで。行く必要なかった。オーラは存在しなかった。私の代わりにハニワを置いといても、まったく問題なかった。先方の担当者の「だって久しぶりに会いたかったんだもん」(50代男性)という言葉には脱力というか、殺意というか‥‥そうか、この感情が殺意か。自分の中に殺意を明確に確認した。

 

なんだかなあと思いながらの帰路。2時間ほどたったが、先ほどの学生たちはまだ話し込んでいた。学生時代って、毎日のように会ってるけどそれでも不思議と話すことが尽きない。共有する情報が多いからかな。二人を見て「ピークですね‥‥」と、お菓子ちゃんがつぶやいた。でしょう! ピークなんだよ。あれ以上がないんだよ。我々、ピーク判定委員会は全会一致であれをピークと認めた。

 

今は静かに余生を過ごしている。

 

 

 

▼オンライン箱庭ゲーム『Creativerse』をやったりやらなかったり。ほとんど動かしてはいないのだけど運営とメールのやりとりはしている。日本の運営というのは個人名が出ることは稀だけど、海外のサポートというのは平気で個人名を書いてきますね。テンションも高め。「!」も多い。「エラー画面のキャプチャありがとな! またよろしく頼むぜ!」みたいな感じで気安い。かしこまってない感じが新鮮で、ちょっと楽しい。日本のサービスはリアル店舗もそうだけど丁寧すぎるぐらいで、そんなにしなくてもいいのになと思うことが多い。映画でもアメリカの店だと、スマホいじりながら店番している人が当たり前にでてくるけど、あれぐらいでもまったくかまわない。

 

寿司屋『すきやばし次郎』のドキュメンタリーで、お客さんが一つ目の寿司を食べるところを見て、もしその人が左利きだったら、次からは取りやすいように左側へ寿司を出すと言っていた。そこまで細やかに気を配ることは尊敬するけど、気を遣われているという重さも感じてしまうんですよね。かといって、高い店でスマホいじりながら寿司にぎられたら、それはそれで「オイ」と思うかもしれん。まあ適度にという話。