玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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何もない日

▼6月に入ってから蒸し暑い日が続く。もう夏がそこまで来ているのを感じる。夏場もマスクが必要なのかな。6/7は3か月ぶりに新型コロナの死者ゼロというニュースを見る。今日はカレーにしよ。

 

 

 

▼友人Nから勧められて、ブルックリンのギャングの入団儀式という動画を観る。えらいものを勧めてきますな。細身で頼りない黒人青年JTが地元ギャングCripsへの入団を希望。入団するためにはCripsのメンバーたちからリンチを受けるという入団儀式があった。

 

JTは特に反撃もできず、本当にただボコボコにされてしまうという。なんだかとても不思議なものをみた気がした。イニシエーションというのはどんな社会や組織にも多かれ少なかれ、ついてまわる。厳しいものではマサイ族の成人儀式であるライオン狩りや、バヌアツ共和国の成人儀式ナゴール(バンジージャンプ)が有名ですね。ライオン狩りはもう行われていませんが。こういったイニシエーションは死者が出ても続いてきた。

 

イニシエーションの厳しさは、とりまく環境の厳しさに比例すると考えていた。危険から身を守るために仲間と結束する必要があって、社会に自分の価値を証明して社会の一員として認めてもらう。だからアメリカのような先進国で、ここまで厳しいイニシエーションがあるというのが不思議に思えた。先進国というのは二次三次産業が発展していて、労働者は移動が可能だから、地縁によらなくても就職ができる。その街が自分に合わなければ移動して他の街でやっていくという選択もできるのではないか。

 

日本も二次三次産業が増えて多くの人が都会へ出て行った。田舎では地域の祭りや伝統行事、冠婚葬祭がイニシエーションとしての機能も果たしていた。こういったものはかつてより簡素化され、廃止されたものもある。階層が流動化していれば「こんなの嫌だよ」と、あっさり他へ行けるはずなんだけど。私が考えるよりもずっとアメリカの貧富の差は拡大し、階層は移動不可能なほど固定化してしまっているのだろうか。これはギャングという特殊な世界のこととはいえ、今のアメリカはそれほど厳しいのだろうか。

 

気に入らない奴は、ピノかイチゴ大福に変身させたい。そんなことを突然思ったんです。さて次の話題。

 

 

 

棋聖戦初戦、藤井総太七段が渡辺明三冠に勝利したニュースを見る。あいかわらずニュースでは昼に藤井さんがカツカレーを食べたなどと言っていて面白い。ノーベル賞受賞などもそうだけど、内容が難しいと本題とまったく関係ないところに話がいく。将棋の内容は研究が進んでどんどん高度になっていくが、見る側はどんどんバカになっていくという。ふーむ、で、藤井さんは、千駄ヶ谷にある『ほそ島や』のカツカレー980円か。などと。

 

その下の記事は「サザエさん史上初、じゃんけんで『5回連続』同じ手を出す大事件」だった。放送開始以来、5回連続の同じ手(パー)は初とのこと。死ぬほどどうでもよいニュースでのけぞる。ちゃんと研究している人がいるのだな。『サザエさんじゃんけん研究所』というサイトで、ずっとじゃんけんについて追い続けている。現在までの通算勝率が.711なのが驚く。なんにでも達人はいるもの。

 

つまり、今日は何もない日だった。

 

 

▼映画の感想『SHIROBAKO』を書きました。アニメ制作の裏側を描いたアニメです。アニメの見方が少しだけ変わるかも。労働環境の過酷さが気になりました。