玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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黒澤の雲

黒澤明監督の作品へのこだわりを表すエピソードで「雲の形が気に入らない」と、撮影をしないまま帰ってしまった話をよく耳にする。黒澤監督のドキュメンタリーを観るとしばしば出てくる。心のどこかでこの話が引っ掛かっていた。雲が具体的にどういう形だったら良かったのか、どんな空ならば納得したのか。もし雲が望んだ形になったとして、それが作品にどれほどの影響を与えるのか。

 

先日、『SHIROBAKO』というアニメを観た。アニメ制作会社の話で、アニメがどうやって作られていくかが詳しく描かれている。その中で美術スタッフのキャラが望んでいたのは「登場人物の心情が伝わるような雲を描きたい」ということだった。セリフでいちいち説明しなくても、画面に映し出された雲を観ただけで観客にキャラクターの想いが伝わる。そんな雲が描けたら美術冥利というものかもしれない。

 

黒澤監督が望んだ雲というのも、登場人物の心情を語るような雲だったのではないか。検索してみても、雲の形が気に入らなくて帰った、こだわりがすごかったという話ばかりで、具体的にどんな雲を望んだのかという話はなかった。そんなとき、たまたまヒットしたのが家本芳郎さんという方のブログ。他ではあまり読めない話が書かれていた。

 

家本さんのご親戚に、黒澤映画の常連である志村喬の弟子がいて、その方に次のような話を聞いたという。黒澤監督が映画を撮ることになったが、撮影が始まってみたら主演俳優が気に入らない。だが、今更変更するわけにもいかない。撮影本番になり、いざ撮ろうということになるが「雲の量が多すぎる。少し減るまで待とう」「雲の形がよくない。しばらく待とう」などとなかなか撮影が始まらない。そうして2週間が過ぎた。主演俳優は他にも仕事を抱えており、キャンセルさせてほしいと言われ、黒澤監督はそれを了承したという話。

 

雲の形にはそんな理由がと驚いた。黒澤監督の性格ならば単刀直入に「気に入らないから変えたい」と言いそうである。だが、自分から起用したこともあり、会社への説明だとか、俳優の面子を潰さないようになど配慮したのだろうか。いろんな思惑があったのだろう。雲の理由は想像したものとはまったく違う話だが面白かった。

 

雲の形が気に入らないから撮らないという理由は作品へのこだわりを感じる。だが、主演俳優がどうしてもイメージ通りではなくて受け入れられないというのも、またこだわりを感じるわけで、結局のところ黒澤明は尋常ではないほどのこだわりを持っているという同じ結論にたどりついた。

 

 

 

▼リモート飲み会。酔いがまわった友人A子が一升瓶からラッパ飲みする姿を見てしまった。英雄豪傑がやるやつじゃん。三国志張飛みたいな人と飲んでいる。

 

リモートで思い出した。シンガポールではコロナのために遠隔方式で裁判が行われ、zoomで死刑が言い渡されたという。私が被告だとして、なんだか納得がいかないような。zoomという軽さだろうか。「被告を極刑に処す」と言っているときに「おとうさーん」と子供が入って来たり、「にゃーん」と猫が入ってきたらどうだろうか。和む。和んでいる場合か、死刑だし。いや、なんかこう厳粛であってほしいという気持ちはある。

 

以前、同僚が脅迫メールをもらったことがあり、そのときメールの一面にびっしり「死ね」と書かれていた。だが、それがどうも手抜きっぽい気がして怖くなかったのだ。デジタルだからか。どうせコピペでしょ? という。鎌倉の煎餅のように「職人が一枚一枚丁寧に焼きました」のような手作り感がほしいというか。白装束で頭にロウソクさして、一字一時丁寧に呪いの言葉を書いてほしいものである。結局のところzoomの死刑に軽さを感じるのもデジタルゆえだろうか。