玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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手紙

▼スーパーへ買い物に。店内では「買い物かごを持ち帰らないでください」という放送が繰り返されていた。買い物かごを盗むほど貧しいわけではなく、コロナのことがあり、他人の使ったかごを使うのが気持ち悪いのかな。自分専用のかごにしてしまい、次に来店するときにそのかごを持ってきて使うのだろうか。泥棒ではあるのだけど。

 

 

 

▼家の片付けが全然終わらない。片付けが下手な人間は捨てるのが下手なのだろうか。こう、思い切って、というのができないんですよね。誰かいっそ放火してくれんか。捨てるかどうか迷ったとき、とりあえず「保留」にしてしまう。何も解決していない。先送りの人生である。

 

机を整理していると私の小学校時代の文集が出てきて読みふける。今、このブログで書いていることと似たようなことが書かれているものもあって驚く。まったく進歩してないとも言えるのでは。小学四年のときの文集は表紙に墓地の絵が描いてあった。なぜこんな気味の悪いものを描いたのか。奇人ぶりたいのにまったく面白くない人という感じで痛々しい。墓の横にウインクしているドラえもんが書かれている。すごいセンスだな。この墓はひょっとして、のび太の墓なのだろうか。

 

机の引き出しをあけると伯母(長女)への手紙が出てきた。小学2,3年の頃の私が書いたのだろう、下手な字で伯母へのお礼が綴られていた。伯母にはずいぶんかわいがってもらった思い出がある。小さい頃、父が事業に失敗したため家は貧しく、家族で遊びに出かけることなどなかった。私は恐竜が好きで、伯母がお金を出してくれて母と恐竜展に行くことができたのだ。途中、新宿のデパートでお寿司を食べたことを憶えている。恐竜展と寿司、恐ろしいほどの幸せだった。子供心に「次の日、心中するのでは?」と疑った。恐竜展でブラキオサウルスの骨が触れるとかで、嬉しくてペタペタ触ったのを憶えている。

 

ちなみに前日は運動会。朝、興奮して玄関から飛び出て、階段から転げ落ちて左手首を骨折していた。だが、バカだから折れたことに気づかずに運動会をしていた。次の日は休みで恐竜展に行く予定だったが、腕が痛いというと行けなくなる恐れがあるので腕の痛みを隠して恐竜展に行った。恐竜の骨を触って喜んでいる場合ではない。おまえの左腕は折れている。そんな思い出。

 

恐竜展とお寿司のお礼の手紙だった。「おばちゃんもいっしょに行けたらいいのにと思いました」と書かれている。消印は押されているからたしかに私が出したのだろう。本当は伯母の家にあるはずの手紙がなぜ私の家にあるのか。思い当たるのは父が病気で入院していたとき、家のことを伯母に手伝ってもらっていたことがある。一時期、伯母と同居していたのだ。そのとき、伯母が自宅から持ってきたのかもしれない。子供のあんな拙い手紙を何十年も捨てずに取っておいてくれたのだなと思うと申し訳ない気がする。伯母が亡くなってからもう3年ほどだろうか。伯母は末期癌だった。大腸癌で、癌が骨にも転移していた。お見舞いに行ったとき「腰が痛い」としきりに言っており、私はその腰をずっとさすっていた。腰が熱をもっており、すごく熱かったのを憶えている。伯母が亡くなったのはそれから二日後だった。何も恩返しできずに逝ってしまった。私は本当に何もしてやれなかったなと思う。人は、人からしてもらったことにきれいにお返しなどできなくて、だから他の人たちに何かを返していくしかないのかもしれない。

 

手紙を見ると感傷的な気持ちになってしまい、片付けは遅々として進まない。手紙を捨てたものかどうか迷う。私が調子に乗ったとき、戒めとしてこういう手紙があるといいような気もするのだ。おまえは本当にどうしようもない奴なのだ、それを忘れるなという。結局、手紙を捨てるかどうか「保留」とした。何も進んでいません。