玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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悪い人じゃないんだけど

新型コロナウイルス感染症のことを医療関係者は「COVID-19」と書いている。COVID-19を使った方がいいのだろうなあ。「19」は2019年のことで、今年の冬には2020年版のCOVID-20が出るかもしれない。そのとき「新型コロナウイルス」という言葉を使っていると、COVID-19を指すのか20を指すのかわからない。COVID-19を「旧型の新型コロナウイルス」と呼んでしまうと、わけのわからないことになる。なるほど。勝手に納得した。

 

 

 

▼友人A子と話す。COVID-19の影響で自宅待機となり、Zoomを使ったビデオ会議が増えたという。職場の飲み会も今までは適当な理由をつけて断っていたらしいが、オンライン飲み会の誘いは自宅待機をしているから逃げようがないという。そういう人、案外多いかもなあ。A子は自分のモニターには映画を流して字幕を読みながら、オンライン飲み会のほうは適当に相槌を打っているらしい。意味不明なところで笑って、不審がられたりしているとか。飲み会、断んなさいよ。

 

そのオンライン飲み会の場で、先輩が「職場のみんなで、医療従事者への感謝を示す写真か動画を撮ってSNSにあげたい」と言っているという。海外ニュースではしばしば見かける。みんなで歌を歌ったり、拍手をおくったり、絵を描いたり、いろいろやっている。フラッシュモブなどもそうだけど、欧米人がやると様になるのだけど、日本人がやるのを観ると「なんだかな」と、恥ずかしくなるものもある。あれはなんでだろ。今、働いている人は医療従事者に限らず、大変な思いをしているだろうし、たしかに感謝しかないのだけど。SNSにあげるのは「(インスタ)ばえようとしている」としか思えない。ばえようとしている、と言ってみたかった。

 

その先輩は、東日本大震災当時、現場の混乱がまだ収まってない東北に千羽鶴を送りつけた前科があるとのこと。やばい人ではないか。炎上しそうなことをやりそう。職場の人々は、みなどうにか先輩の試みを止めようとしているらしい。せめて「一人でやってくれ」というのはある。すごい巻き込み事故が起きそうな気もする。わくわく。A子は、先輩のことを「悪い人じゃないんだけど‥‥」と言う。

 

人は「悪い人じゃないんだけど」と言葉を濁すとき「悪い人」か「迷惑な人」だと思っている。

 

 

 

ナインティナインの岡村さんが不適切発言で炎上というニュースを見る。コロナによる不況でお金に困ったかわいい子が風俗嬢をやるのが楽しみ、というようなことをラジオの深夜放送で言ったという。なるほどー。そんな最低なことを言えば、そりゃ炎上する。

 

でも少し変な気もしたのだ。昔、ラジオの深夜放送といえばコアなファンが聴くだけだった。夜も遅いわけだし、次の日が大変なので。今、ラジオの深夜放送を聴くのはコアなファンとネットニュースの記者なんですよね。深夜放送というのはそれほど多くの人が聴くわけでもなく、聴いているのはファンが多いから、問題がある発言もスルーされてきた。わざわざ「こんなこと言ってますよ」と掘り起こさなければ、多くの人は不愉快な気分にもならずに終わっていたように思うのだけど。

 

もし本当に許せないと思えば、文書などで抗議するのが正式なやり方で、抗議を受けた方はなんらかの対応をすべきだけど、対応する猶予も与えられないまま記事にされてしまっている。ということはアクセス増や原稿料など、結局はお金が目当てという話になってくる。

 

岡村さんの言ったことは下劣でどうしようもないことだけど、芸人はそもそもそういうものなんじゃないかとも思う。倫理や常識を審査されて芸人になるわけではないのだし。ビートたけしフライデー襲撃事件で暴行傷害事件を起こしながら、のちに暴力的な名作『アウトレイジ ビヨンド』を撮った。暴力性があったからこそ映画も撮れたのだろうし、長所と短所は表裏一体で分離不能なのではないか。人の歪みが面白い作品を生み出すこともあるはず。人の善の面だけを享受しようというのは都合が良すぎるように思える。

 

岡村さんを庇いたいとかそういうことでもない。最低なことばかり言い続けていれば自然とメディアから消えていくだろう。芸人が言うことは「どうしようもないこと言ってる」と聞き流せばいいように思う。芸人に限らず、人は間違えたことを口にするし、誤りのない無謬の人、完全な人間はいない。岡村さんの今回の言葉は誤りだと思うけど、でもそれが正されなければならないかというと、そうは思えない。一つの正しい考えしか許されないのはあまりに窮屈だ。明らかに人を害する場合を除くとして、人は間違えた考えを抱いたまま、生き続けてもいいように思える。

 

人の誤りを許せないとか、誤った行動をとったならば、どのように制裁を加えてもかまわないということのほうがよほど恐ろしい。なんだか同じことばかり書いている。