玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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黙ってチキンライスを作る

▼今日はプレミアムフライデー

 

もう特にないです。そもそも前からなかった。

 

スーパーへ。レジはビニールのカバーがかかり、お釣りも直接、手が触れないようにトレーに載せてやり取りされるようになった。レジの店員はお金を直接、触れなくていいようにゴム手袋をはめている。スーパーには毎日行かず、3日に1度ぐらいにせよと小池都知事が記者会見をした。いよいよ世紀末感が増してきたぞ。私も今日こそはモヒカンにしようと思っていたけど、自粛要請があるので美容院に行けない。トゲトゲの肩パットを身につけ、釘バットを持って鏡の前でにこやかに笑ってみる。火炎放射器はもうAmazonで注文した。

 

ルールを守らない人への風当りが強くなり、営業を強行するパチンコ屋に苦情の電話が入っているというニュースを見る。パチンコ屋は1日の売上が一千万を超えるところもあるわけで、100万や200万の休業補償を一度もらうだけではやっていけないのだろう。自分がルールを守っている人ほど、攻撃的な感情が強くなるのかもしれない。自治体も自粛に協力(自粛なのに協力というのも妙な話だけど)しなかったパチンコ屋の店名を公表した。はたして公表が正しいことなのかなと思う。店名がわかれば嫌がらせも殺到するだろう。それを計算しての公表なのだろうから、お上が私的制裁を勧めているに等しい。戦時下の隣組制度のよう。ようこそ監視社会へ。

 

コロナこそが問題なのに人への憎しみを助長させているだけに思える。自分はおとなしく家にいる。だから誰かを責めてもいいかといえば、そうではない。人は人、自分は自分、それでは駄目なのかしら。何かいい解決法があるわけでもないし、おそらく正解はない。これからもっと答えのない問題が増えてくるのだろう。せめて誰がどういう発言をしたか、どんな行動をとったかは見ておきたい。

 

 

 

志村けんのニュースを読む。あちらこちらに転がっているものだな。亡くなると、どうしてもいい人にされてしまう傾向がある。「誰も傷つけない笑い」などと書かれていて、書いた人は賞讃したつもりなのだろう。でも、芸人にとってそれが褒め言葉になるかといえば難しいところがある。そういう褒められ方は嬉しくないんじゃないのかなとも思う。

 

ドリフ時代、リーダーのいかりや長介がギャラの配分を決めていた。加藤茶志村けんが少ししかもらってないのに、ある日、いかりやが外車で稽古場にやってきた。面白くない二人は、いかりやの外車のホイールに毎日、おしっこをかけて一週間でホイールを錆びさせたという。芸人ならば、この話をひろめなければ。無駄な使命感。