玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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コロコロの日々

▼仕事仲間のN氏のお宅へ行く。途中、政治家のポスターに画鋲で目つぶしをするおじさんを見かける。これは女性が大好きな「子供の心を失わない男性」ではないか。たとえ片手にワンカップ大関を持っていようと。間違いない。おじさんは目をつぶした後、しばらく考え込んで何やらやっていた。私は後ろからその様子をじっと見つめていた。暇なので。

 

おじさんは気が済んだのか、足取りも軽く去って行った。ポスターは目だけでなく、鼻の穴にも画鋲が詰められていた。私は仕事をやり遂げた男の背中を静かに見送った。

 

N氏宅着。「コロナには換気がいいんだ」というN氏によって窓が全開にされる。春一番のような強い風が部屋に吹き込んだ。たしかにN氏の言うことは間違っていないけど、私は花粉症。この部屋にコロナウイルスがいない場合、ただ単に花粉を大量に入れたことになる。だが時節柄やむなし。コロナ憎し。目はかゆし。

 

韻を踏みたくなる暖かな昼下がり。

 

居間でくつろいでいると、N氏の飼い猫ホームズが隣にやってきて寝転ぶ。無愛想な三毛猫。「私は猫なのだ。かわいいのだから、かわいがれ」と一声あげて、なでることを要求される。猫が持っている揺るぎない絶対の自信。かわいいのお、ここかあ? ここがええのんかあ? と撫でまわした。猫かわいや。

 

 

 

▼iPad(apple)のCM。

 

 

良さがよくわからない。

 

 

別れた男?はサッと消して編集という。

 

これでインスタにも投稿できるということなのかな。いいことも嫌なこともあって、それで今の自分が出来ていると思うけど。それはあまりに優等生的かも。しかし、この「嫌なものは消して、それでおしまい」というのはドラえもんの独裁スイッチのようで怖い。ついに私たちは思い出の改竄(かいざん)に成功したという。最近のappleとかAmazonとか、サイコパス感がすごい。

 

「今のユーザーはこんな感じだから大丈夫だよ」と思って作っているならば、その認識が恐ろしい。

 

 

 

▼コロナウイルスは中国では一段落し、流行の中心はヨーロッパに移った。イタリアは一日に死者が800人出るなどひどい状況(JIJI.COM)。原因はいろいろあるのだろうけど国民性も関係しているのかな。アジア人に比べて、あまり政府や警察の言うことを聞かない印象がある。もっとも、中国は罰則が厳しいというのもあるだろうけど。フランス人が外出禁止に背き、4万人が警察に検挙されて罰金を科されたニュースもある(TBS NEWS)。

 

ヨーロッパ人が自分勝手と言いたいのではなくて一長一短なのかなと思う。フランスではルーブル美術館の職員たちが出勤を拒否したので美術館は休館を余儀なくされた。日本ならば、上司が許可を出すまで従業員が勝手に出社拒否をするなど絶対にないように思う。ブラック企業にしても、フランスには日本ほどないんじゃないのかな。そういうのを許さない国民性があるように思うのだ。ようは一長一短という。

 

コロナの拡散についてどういった姿勢をとるべきか、ワシントンポストの記事がとても良かった。少し長いですが。医療機関をパンクさせないようにイベントや集会を避け、その間に集団免疫の獲得や薬の開発を待つ社会距離戦略の有効性について書かれています。

 

読み返してみた。ふーむ、ま、フランス人は自分勝手だな。わははは。

 

 

 

▼映画の感想『魂のゆくえ』を書きました。難解映画。正直なところ、面白くない映画ほど感想が書きやすいということがある。それはあれか。嫌いな人の悪口を言いたいだけということかしら。