玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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マスク

▼友人A子がマスクを買いに行った話を聞く。ドラッグストアのマスクの棚は空っぽになっていた。白衣を着たおじさんの店員にダメ元で「マスクありますか?」と訊ねたところ「一人一つ‥‥」とつぶやいて店の奥に引っ込み、マスクを一箱つかんで戻ってきたという。闇の商売感すごい。思えば、マスクもマヤクも同じ3文字、最初と最後の文字も同じ。もはや、マスクとマヤクは同じ。そういう世界にになってしまったのか。

 

 

 

▼今日も今日とてオンラインゲーム『Destiny2』をやる。クランに入った。6人でやる救済の庭園というレイドをやる。プレイヤー同士の連携が重要で、それぞれが役目を理解していないとクリアはできない。YouTubeに上がっていた2時間半近くの動画を観て、ステージの仕掛けやプレイヤーの役割をあらかじめ学習する。ややこし。で、実際にプレイしたのだけど5時間ぐらいかかってラストステージまでたどり着いたもののクリアはできなかった。エンドコンテンツとはいえ、最近のゲームの難しさよ。もはや仕事とすらいえるレベル。

 

 

 

▼コロナの話ばかりで、なんだかこの雰囲気は東日本大震災のときと似てきたように感じる。あまり同じニュースばかり聞いていると気が滅入る。好きなことをやって情報をあえて遮断するのも、心のためにはいい方法かもしれない。

 

そして私はクッキーを焼いた。毎週『ブリティッシュ・ベイクオフ』というパンやケーキを焼く番組を観ている。出演者たちは素人だが、趣味とは思えないほど高度なパンやケーキを焼く。番組を観続けていたため、目だけは肥えていた。私にもできる気がしたのだ。だが実際は、まったく腕がともなっていないという。単なるクッキーで失敗した。クッキーを焼くときにクッキー同士の間隔が近かったので、生地がふくらんでくっついてしまい、板のようになった。クッキー板ができた。それとレーズンを入れたのだけど、洋酒などに漬け込まなかったからか、火が通りすぎて炭のようになってしまった。苦くて食べられない。種がある果物を食べるときのように、レーズンを吐き出しながら食べている。新しいお菓子。

 

料理で失敗したときとお菓子で失敗したとき、落ち込み具合はお菓子のほうが大きい。料理は日常で、お菓子は「さて、作るか!」と張り切ってやった分の特別感があるからかもしれない。理由には納得しても気は晴れない。くおおおおおおおお。苦いクッキーでコーヒーを飲む。

 

 

 

▼マスク売り切れ。花粉症なのにな。まあ、いいか。ガーゼの洗えるマスクを買えばいいのかな。

 

政府がマスクの買い占めや転売をしないよう呼び掛けていた。効果は薄いかもしれない。システムや政策を考える人間が性善説に基づいて考えるのはまずいように思う。買い占めや転売が悪影響を及ぼすということをわかっていない人には効果があるだろうけど、やってしまう人は全部わかったうえで買い占めや転売をするのだから。

 

転売をなくすには、オークションサイトなどでマスクの出品を今後何カ月か禁止すればいいだけに思える。そうすれば転売しようにも販路がなくなって個人間の売買は難しくなる。売りようがないから買うこともない。オークションサイトは出品者の口座情報を握っており、その気になれば転売した人間のアカウントも簡単に凍結できる。ただ、オークションサイトは、出品者の売却価格の何%かをシステム利用料として受け取っているので、不当な高値での出品禁止をうたいつつもどこまで本気で禁止したいのか、外側からはわからない。メルカリは1000円以上の価格をマスクに付けられなくした。すると、転売者はマスクをバラで販売しだした。いろいろ迂回策を考えると感心。

 

人が滅ぶときは、何かの災害で直接滅亡するというより、欲を制御しきれなくなった人々が利己的行動にはしり、その結果、災害の影響による人災によって滅ぶのだろうか。などと考えていたら暗澹とした気分になって、映画『ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男』を観だした。よくできた映画だが、これまた重い話のような。もっとバカで景気よく人が死ぬ映画を観ればよかった。

 

 

▼仮に転売を規制できたところで、それがマスク全体の何%を占めるかというのは微々たるものなのかも。世間の憎悪を引きうけるほど転売屋が多いようにも思えないのだけど。

 

それとも転売屋というのは、私の頭の中の像でしかないのかな。転売屋は転売だけを生業としてうまく儲けている人が浮かぶが、本当は違うのかもしれない。もう誰もが転売をできるわけで、ごく普通の人が余分に買ったマスクをそっと売っているということもあるかもしれない。