玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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ジャンケン

▼右足の甲の外側に、直径一センチぐらいのぷっくりとした白い塊ができた。なんだろ。特にどうということもないのだけど、押すとじんわりと痛い。歳をとるといろいろあるもの。アクセサリーとしてかわいがることにした。

 

 

 

▼学校帰りの子供たちがジャンケンをしている。グーで勝ったら「グリコ」で3歩、パーの「パイナツプル」チョキの「チヨコレート」は6歩ずつ進めるというもの。あの遊び、パーかチョキをずっと出していたら、だいたい良かったような。子供の頃にやったけど今の子もやるのか。

 

子供の頃はゲームの先攻後攻を決めたり、ジャンケンをする機会がたまにあった。あるとき、ふと気づいたのだけど、ジャンケンというのは最初に何を出すか、人によってだいたい決まっている。父ならグー、母はパー、友人Nはパー、友人Kはパーなどと、親しい人間は今でも憶えている。

 

だからジャンケンをすれば百戦百勝だったかというと、そういうことではなかった。勝ち続けたら対策を立てられるし、普段は負けていようと考えた。人は勝っている限り、習慣を変えようとはしない。勝っている間に変えようとするのは優れた一部の人間だけだ。ジャンケンノートというものを作り、友人たちが最初に何を出すかと、その確率を記録しておいた。それを暗記し、たまにジャンケンの機会があるとわざと負けることで情報の正しさを確認し、ひとりほくそ笑んでいた。ほんと、おまえ、気持ち悪いな。

 

ずっと負け続けているのには子供なりの理由があった。人生でもっとも大事な局面に立たされたとき、この情報を活かすためである。つまり、タイタニック号が沈没しそうなときに最後のボートにどちらが乗るかとか、同じ人を好きになったときどちらが身を引くか、などである。そのときこそ、このジャンケンノートの情報が活かされるのだ。それまでは負け続けると決めた。しかし、まともな頭ならすぐ思いつくだろうけど、人間、重要な局面でそんなにジャンケンに頼らないという。もっと他の方法で決めるだろうよ。あと、そんな場面はありません。残念な頭をしているので、そこに気づかなかった。

 

で、相変わらず中学時代もジャンケンでは連戦連敗を重ね続けていた。ある日、机の引き出しを整理していたら、小学生の頃につけていたジャンケンノートが出てきた。そして、頭に友人Kの顔が浮かんだ。その頃、友人Kとは毎日のように遊んでおり、本当に仲が良かった。さっぱりとした、とても気持ちのいい男で尊敬していた。もし仮に人生の重要な決断をするとき、「どっちが負けても恨みっこなしで、ジャンケンで決めよう」となった場合、私はこのノートを使って友人Kに勝つのだろうかと思った。友人Kは疑うことなくパーを出し、私が勝つだろう。彼はさっぱりとした奴だし、友人を疑うようなこともしないだろうから、その結果に従うだろう。それでも、私はこのノートを使うのだろうか。そんな卑怯なことが許されるのか。そんなことをしていいわけがない。

 

私は泣いた。自分の卑怯さが許せず、泣いてノートを破り捨てた。

 

今、振り返って思うのは「なんの病気?」という。当然ながら、その後、ジャンケンで重要な何かを決めるようなことは一度も起こっていない。タイタニック号には乗ってないし、好きな子もかぶらなかった。過去の自分に対しては「早く良い病院を紹介してもらって」しかない。生きにくい人生を生きている。