玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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抱負

▼親戚が集い、テレビ東京の『池の水、全部抜く』を観ていた。この番組は外来生物を害獣と決めつけているのが少し引っ掛かる。そもそも害獣ならすべて駆除してもいいものなのかな。ある日、神が『海の水、全部抜く』を行い、「人間は地球にとって害獣なので殺します」と言ったとき、私たちは受け入れるしかないのでしょうか。座して死を待つしかないのでしょうか。なにこの始まり方。

 

 

 

▼久しぶりにとんねるずをテレビで観る。リアル野球盤という毎年やっている野球ゲームなのだけど、タカさんの声がかすれて出なくなっていることに驚いた。相手チームへの罵声がかすれてはっきり聞こえず、切ない気分になってしまった。バラエティなのに。だけど、タカさんももう58歳だから無理もない。58か。子供の頃に観ていた人たちが老いていく。ということは‥‥。およよよ。

 

そういえば年末に親戚が「16歳ぐらいの気持ちでここまで(80過ぎ)きた」と言っていた。案外、みんなそんなものかもしれない。入れ物だけは歳をとるが中身は10代、20代のまま、あっという間に歳をとるのだ。気は短く、知識も浅く、視野も狭い、狭量で寛容さに欠ける。歳をとれば良い人になるわけでもない。なぜ突如、親戚の悪口を。

 

そもそも成熟ということが幻想でしかなく、未熟なまま死んでいくのが人であるとすれば、人間的成長などに期待しないほうがいいのかも。人は成長できるという夢を見ていた。それは欲張りすぎだ。産まれただけで儲けもの。あのときオムツをつけていた私が、文字を打ててブログを書けるようになった。それだけでいい。限りなくハードルを下げていく。だいたい、新年だと立派な抱負をぶちあげたりするものだが、あれが間違っていた。今年の抱負は「刑務所に入らない」。これでいく。

 

ハードルを下げるといえば、友人A子に会ったとき、以前は結婚相手には「一年に一回、海外に連れて行ってくれる」とか「一緒にスポーツとか映画を楽しめる価値観の会う人」とか、そんな理想を挙げていた。だけど、この前は「年金を払っている」という条件のみだった。何かありましたか。

 

 

 

▼元ZOZOTOWNの前澤さんがまた100万円のお年玉を配っていた。面白いのは、配ったら配ったで叩かれるという。そこは「ありがとう」でいいんじゃないかと思うんだけど。100万円を配らないお金持ち(当たり前)が多い中、配って叩かれるのはなんだかかわいそう。庶民の嫉妬なのだろうか。とにかく目立つ金持ちが嫌いで引きずり下ろしたいという。わからんでもない。庶民代表ゆえに。

 

1万人に1人ぐらい前澤さんのような飛びぬけた金持ちがいるとして、9999人が努力して前澤さんと同じ位置まで上がっていくのは不可能に近い。それよりも大勢が協力して目立っている金持ちを引きずり下ろして、自分たちと同じ位置に落とすほうが簡単ということなのかな。9999人が上がるより、1人が下りてくるほうがエネルギー効率がいい。ふうむ。なんだかよくわからない光景を見ている。