玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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安らぎ

▼ここのところすっかり年末年始の空気が薄れ、気がつけば年が明けているという始末。特別な感じがない。大晦日も午後9時には寝ていた。おじいちゃんである。

 

年末は親戚が集った。みな、よく食べ、よく飲む。あれも食べろ、これも食べろと薦められる。親戚は食べられることが幸せという時代の人だ。今はダイエットや健康維持に熱心で、食べない方が贅沢になっているところもある。だけど、太るから食べないということが生意気というか申し訳ないというか、結局、断れずに食べるんですけども。まったく贅沢な悩み。

 

幼稚園児の甥っ子そうちゃん。よくしゃべるし、前に会ったときとはだいぶ違う。なんというか人間ぽくなった。ひょっとしてチンパンジーより賢くなったのでは。私にとっての1年と彼にとっての1年はまるで違う。私にとっては1/40ほどだが、彼にとって1年は人生の1/4とか1/5の長さなのだ。私がボーっとしている間に日々、ものすごい速度で成長している。そのことに涙腺が緩むような不思議な感覚をおぼえた。

 

そうちゃんが側に来て、恥ずかしそうにしている。あまり話したことのない大人が怖いのかもしれない。「お年玉をくれ」とでも言うのかと思ったら「あのね‥‥一緒にスキップしよ」と言う。このかわいい生き物はなんなのか。ようし、きさま、43歳の本気のスキップを見せてやる。ついてこい! と張り切ったが、まさかスキップのしすぎで筋肉痛になるとは。老化がすごい。太腿の付け根が悲鳴をあげている。今後は日々、スキップをして鍛えねば。

 

子供のことを天使だとか、そんなふうには思わないけど、たまにその純真さに驚かされることがある。子供というのはキャンバスに何も描かれてない状態に近いのではないか。その白さを大人は純白や純真と見紛うことがあるのかもしれない。

 

 

 

▼一緒に仕事を請けているN氏と打ち合わせへ。着いた先はタワーマンション。「こ、これは富裕層の棲み家では? 入ったら体が溶けるんじゃ‥‥」「マンションから指定されているゴミ袋はシャネルかルイ・ヴィトンなのでは?」「毎日、ベランダから下を眺めて『はっはっは! まるで人がゴミのようだ!』と、庶民を見下す遊びをやっているはず」などの偏見を爆発させた。だってここは富裕層どもの棲み家。嫉妬。

 

仕事の依頼主であるAさんはとても穏やかな人だった。どことなく福山雅治にも似ている。非の打ちどころがない。性格もいい、趣味はサーフィンと自転車とバンド、奥さんも気さくな美人、家はタワーマンション。同じ人間ながら、なぜこうも私と違うのだろうか。頼むから人を3人ぐらい殺していてくれないか。そうでないと、私とバランスがとれない。頼む。

 

Aさん宅を辞し、N氏の家へ。普通のマンション。モデルルームのように生活感のないAさんの家と違って、みょうに落ち着く。「いやあ、庶民の家は安らぐなあ。この薄汚れた壁紙。漫画が積み上げられたテーブル。ほこりっぽくて散らかった室内。センスの悪い家具。飼い主に似た無愛想な猫。どこで売ってんのかわからない趣味の悪いクッション。これぞわが故郷」と褒めると「殺すぞ」と言われた。正月から、そういうのよくない。

 

 

▼映画の感想「2019年に観た面白かった映画25本」を書きました。