玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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目印

▼この冬、初めての肉まん、美味し。今日はプレミアムフライデー。匿名掲示板に上司の個人情報を晒して、嘘ばかりの誹謗中傷を書き込んでも、そんなに怒られない日。

 

みんなが忘れても私だけは忘れない。プレミアムフライデーよ、永遠に。

 

 

▼友人A子が引っ越した。新らしく借りた住まいは墓の前だとか。朝、爽やかな気分で窓を開けるとそこには一面の墓石。でも、車がひっきりなしに通っている所よりはいいのかな。家賃がお安いそうで。近くまで行く用事があったので、近所でお茶でもということに。

 

メールで道順を教えてもらうが「ZARDが一日中掛かっている車の修理屋の角を左」など説明が不安。修理屋の店名を書きなさいよ。これ、絶対にZARDが掛かっているのか、間違いないのか。オーナーが気分を換えてWANDSとか大黒摩季とかに変えていたらどうなんだ。それは90年代JPOPというくくりでわかるか。唐突に童謡の「赤とんぼ」などのほうがまずい。私が迷子になるかは、修理屋がZARDを今日も掛けるかにかかっているのだ。

 

一本道をひたすら歩いていたがZARDが聴こえてこないので不安になる。だいたいなんなんだ、ZARDが一日中掛かっている車屋って。好きだとしても、よく飽きないな。本人に電話で場所を確認しようかとも思ったが、何か悔しい。ここは町の人に訊いて「ほらやっぱり誰もわからない」ということを証明したい。正面から歩いてきた60歳ぐらいのおばちゃんに「ZARDが一日中掛かっている車屋ってここら辺にありますか?」と訊いたら「ここ真っすぐ行って5分ぐらいのとこ」と言われてしまった。地元では有名なのか。一日中、ZARDが掛かっているのか。

 

車の修理屋はたしかにあった。開け放たれたガレージからは坂井泉水の懐かしい歌声が聞こえてきた。たしかアニメ『スラムダンク』に使われていた『MY FRIEND』という曲。一瞬、高校時代のいろんな思い出が音楽に導かれて甦り、感傷的な気分になる。本当に久しぶりに耳にしたZARDはいいものだった。ZARDは修理屋の店先で聴くに限る。修理屋の向かいには公園があり、イチョウの木があった。20メートルほどもあろうかという巨木で、鮮やかな黄色の葉が空の青さに映えて、思わず足を止めて見上げた。

 

普通「大きなイチョウの木が目印」と書くのでは。ZARDじゃなく。

 

 

▼宗教がなんとなく苦手だった。人生の意味とか、虚しさとか、人から裏切られたとか、そういった苦しみに対して宗教に行くのはどうなのだろうと思っていた。でも、苦しみに対して神の試練だとか、外部に意味を見出すのが宗教で、考え方の変化だとか、自身への探求という内部に答えを見出すのが哲学なのではないかと思った。苦しみからの脱出という目的には変わりがないのではないか。手段は違うとしても。だとすると宗教をそれほど嫌うこともないのかなと思える。しかし、問題のある宗教はお金が絡んでくるのが困りものだけど。