玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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SNS

▼パウンドケーキを焼く。美味し。パウンドケーキというのは簡単で誰が焼いてもうまく焼ける。ちょっと頭の良いお猿さんにも焼けるのが良いところ。ウキキキ。砂糖を控え目にして自分好みの味にできるのが自作の良いところですね。自分で組むPCみたい。買った方が安いし、手間もかかるけれど、細かいところにこだわれるという。

 

料理はやがて特殊な趣味となるのだろうか。普段食べる物は買ってくるか外食で、特別な日にだけご馳走を作るような時代がくるかもしれない、というようなことを森博嗣さんが書いていた。将来はそうなっているのかも。そういう時代がきたとして、それが本当に贅沢で幸せなことかはまた別の問題だけど。

 

 

 

▼今更ですが『FAINAL FANTASY14』をプレイ。グラフィックがいい割に動作が快適で驚く。ロード時間が少ない。快適ですね。14はオンラインゲームなんですね。お使いクエストばかりでやってられないと聞いたが、そこまでひどくないだろうと思っていたら、想像以上のお使いゲームだった。お使いよりもひどいかも。労働。どこそこに行ってモンスターを何体倒してこいというものが多い。

 

ひと昔前のRPGでは、フィールドを歩いていて画面が切り替わって敵に襲われたが、FF14に画面の切り替わりはない。そこら辺をピョンピョン跳ねているモンスター(かわいいのもいる)にケンカを売って狩るという。こちらから襲っていくのが犯罪者っぽい。襲ってこないモンスターも多いし。モンスターは本当は私なのでは‥‥。しかも狩るだけでは飽き足らず、クエストの依頼者はモンスターのタマゴも取ってこいなどと言う。どこまで鬼なのか。

 

ひたすらに「あっちで何体倒せ」「そっちで何体倒せ」と言われ、言われるがままに倒している。ヤクザの鉄砲玉のようなお仕事。敵対する組員にも家族がいるなどと考えてはいけない。考えてはいけない。考えたら負けだ。FF14は今のところそんなゲーム。レベル15を超えたところだけど、いつか面白くなるのだろうか。今のところ単調。時給が発生しても良いのでは。修行の日々。

 

 

 

▼本棚にあったミステリーを適当に鞄に入れて出かけた。80年代後半の作品で、どうやって殺したかにすごくこだわっている作品だった。ミステリーの流行も、90年代以降は「どうやって(手段)」から「どういった理由で(動機、心理)」という方向にシフトしていく。手段がゴチャゴチャ書いてあっても、今では「へえ」としか思わなくなってしまった。罰当たりな読者かも。

 

ミステリーやホラーというのは不謹慎なもので、人の死が娯楽になっている。思えば不思議な話。だけど、芸能、芸術、娯楽というのは不謹慎でもよくて、それは日常を真面目に送っている人のささやかな息抜きとして道を外れた行為を楽しむというのも許容されてきたのだろう。だから芸能、芸術、娯楽には少し裏側の行為というか、陰の部分もある。ストレスがたまったときなど、運動のように陽の発散の仕方をすれば理想的だけど。

面白いのがSNSで、SNSは本来は裏の性質を強く持ったツールに思える。芸能、芸術、娯楽のようにささやかに楽しむのが本来の在り方だろう。でも、実名を原則とするフェイスブックや発信力の強いツイッターなどは表の要素も強い。性質的には裏の要素を持ちながら、もはやそれは裏というにはあまりに影響力が大きく、社会的、公的にならざるを得ない。裏だと勘違いして使うと痛い目を見ることもある。知り合いの間という狭い世界だけで使っているうちは裏の性質を持つツールとして機能しているわけで、利用者もそれを疑わない。それが何か事件を起こして拡散されたときに表になり、制御不能になってしまう。ここが他の芸能、芸術、娯楽と大きく異なる点に思える。裏の物というのはずっと裏のままでいたように思える。SNSは裏表両方の機能があるし、人によっては裏でしかない。それがSNSが他の娯楽と大きく異なる点ではないか。

 

 

 

▼ひと月に一回ぐらいSNSの悪口を書いている気がする。親でも殺されたのでしょうか。思うに、オタク特有のSNSへの憎悪では。

 

 

 

▼人の肌の感触そっくりのスマホケース、タッチパッド

なんだこれー。人の肌そっくりのキーボードとかできないかな。猫キーボードとか。