玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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小栗忠順

▼柿と梨が甘くなってきた。秋。

 

アメリカのファッションブランド『フォーエバー21』が日本から撤退というニュースを見る。ニュースを見たうちの何人かに一人は「フォーエバーじゃなかったな」と言っているに違いない。私は言っていない。心の奥深くで、そっと思うに留めた。

 

 

▼だから何? という始まり方ですが毎度のこと。ブログも長くやっていると飽きるので越そうかと考えている。はてな、FC2、ライブドアあたりが候補ですが、最近たまに聞くnoteもいいのかな。いろいろ探していたら、過去に日記を書いていたエンピツというサイトが出てきた。まだあるのかと驚く。ひとわさんとか、面白い人がいっぱいいたなあ。お元気でしょうか。死んでないか。面白い文章を書く人だっただけにどこかで書き続けていてほしいもの。

 

 

▼BS『英雄たちの選択』今回は幕臣小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)。江戸幕府の兵制改革を行い、フランス式軍隊の整備や横須賀造船所の建設を行った。明治新政府より早く郡県制度の提案もしている。非常に先見の明があった人だが、きちんとした取り調べもなく官軍に斬られてしまったのが惜しまれる。司会の磯田先生、怒りの回であった。磯田先生、有能で国を思う人が無惨に殺されるととにかく怒りますね。バカはいくら死んでもいい精神を感じる。わはは。

 

小栗は国内外ともに情勢が緊迫しつつあった時期に、江戸幕府の舵取りを任される。薩摩は虎視眈々と力を蓄え、倒幕の狼煙を上げようとしていた。当時、幕府は軍艦を外国から購入していたものの、その修理場所である造船所を持っていなかった。当然、造船技術もない。小栗が造船所を作ったおかげでその後の日露戦争での勝利というところに繋がっていく。勝海舟は海軍運用における人材育成のほうを優先すべきということで、造船所建設に反対しているんですね。勝にしては珍しく、判断を誤った事柄の一つではないか。勝と小栗、共に優秀ながら折り合いが悪かったというのもここら辺のしこりがあるのかな。官軍との戦いでも勝は恭順、小栗は抗戦を主張した。結果、勝の主張が認められるが、後に官軍の大村益次郎は小栗の策が用いられていれば官軍は敗北したかもしれないと語っている。

 

造船所の建設に際し、どこの国から技術を提供してもらうかが難しかった。当時、随一の海軍国で日の沈まぬ国といわれたイギリス、以前から日本と良い関係を構築していたが海軍では後れをとっていたオランダ、イギリスには及ばぬものの勢いをつけてきたフランス、アメリカは第一候補だったもののアメリ南北戦争が始まってしまったので除外された。小栗はフランスを選択する。

 

経済小説『ハゲタカ』を書いている真山仁さんはイギリスと組むべきだったと主張していた。当時、イギリスは既に薩摩と手を結んでおり、武器を薩摩に売っていた。幕府があえてイギリスと結ぶことにより、薩摩を牽制することもできたという。面白い考え方でこれが実現すれば幕末にかなりの影響を与えたに違いない。幕府が官軍との戦いに勝利した可能性もある。磯田先生が主張するイギリス、フランス両者と組み、両者を競わせるというのも巧みな外交に思える。

 

イギリスと組めばその後の日本史が変わった可能性はあるものの、やはりフランスで良かったのではないかとも思う。というのは、1840年にイギリスが起こしたアヘン戦争である。アヘンで清国を麻薬漬けにしてしまい、銀を奪おうというのはまともな国がやることとは思えない。こんな卑劣極まりないことをやる国とは到底手を組めない。

 

そして、幕府はフランスと組むが官軍に敗北。江戸時代は終わりを迎えることになる。幕府にとっては悲劇でも日本にとってはこれで良かったのかもしれない。旧態依然とした幕府の体制では、欧米列強から狙われる時代を乗り切れなかったのではないか。仮に幕府が勝利した場合、身分制の改革(侍の廃止)がすみやかに進まなかった可能性が高い。そうなるとのちに起こる日露戦争の勝利は危うい。それとも幕府が勝利して小栗が生存していれば、小栗の提唱するさまざまな改革が実行され、身分制の解体も進んだのだろうか。歴史にifはないと言われるが、もし幕府が勝っていたらその後の日本はどうなっていたのだろう。イギリスかロシアの植民地になっていたという未来があったかもしれないし、違う形の政府が発足していたこともありうる。つくづく、小栗の死は惜しかった。新政府が小栗を登用していれば、その後の日本がさらに発展したことだけは間違いないだろう。

 

 

▼映画の感想『アフターショック』を書きました。地震が起きたら無法地帯になって大変でしたというお話。イーライ・ロスが出ています。

 

 

web拍手ありがとうございます。このブログ、私以外に読んでる人がいた。