玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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スモモ

▼今年初のスモモ。酸っぱくて少し苦手。出先で頂いた。スモモというのは、あまり自分では買う気にならない。本当に美味しいスモモを食べたことがないのかな。食べれば「まあね」という味ではあるものの、スモモを買うなら他に何かあるのではないかという。今回も「まあね」という味だった。

 

中国の故事に「李下に冠を正さず」というものがある。李下とはスモモの木の下をさす。スモモの木の下で冠を直すと実を採ろうとしていると思われるから、疑われるようなことはすべきではないという意味。スモモは昔の人にはそれほど魅力的だったのかな。どうもそこまで魅力が感じられず、故事がすんなり心に入って来ない。

 

「大丸松坂屋オンラインショッピング 宮崎産完熟マンゴー 太陽のタマゴ4玉 化粧箱入り(21,600円)の下で冠を正さず」だとしっくりくる。

 

くるのか? 本当に? 蒸し暑さのせいでまた適当なことを書いてしまった。

 

 

 

▼京都アニメーションへの放火で33人死亡のニュースを見る。ずいぶんと多くの人が亡くなり、負傷した。痛ましい事件なのは言うまでもないし、アニメの歴史も変わってしまっただろう。何事もなく成長すれば、今後すばらしい作品を作った方もいたはず。犯人は多くの犠牲者を出しただけでなく、将来世に出たであろういくつもの作品も燃やしてしまった。

 

 

 

▼NHK-BS『偉人たちの健康診断』を観る。

 

日本に開国を迫ったペリーについてだった。ペリーというと昔、流行った「開国してくださいよぉ~」のFlashしか知らない。ほぼあれだけの知識。あれを知識というのか知らんけど。

 

「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん) たった四杯で夜も眠れず」の狂歌が有名ですね。喜撰というのは宇治の高級茶のことで、上喜撰はその上等なもの。黒船が四隻やってきて開国を迫ったわけで、高圧的で嫌な感じだなぐらいの印象しかなかった。ところが昨日の番組では開国の日米交渉は硬軟とりまぜたものだったことがわかる。

 

お互いに宴会を開いて相手方をもてなし、交渉の妥協点を探っている。営業の接待のようなことを当時もやっていたんですね。日本側はペリー艦隊乗組員500名分の料理(現在の価格で1億5千万ほど)を用意したというからすごい。ただ、ペリーは和食の繊細な味がよくわからなかったようで、彼が喜んだのはデザートのカステラだったらしい。

 

ペリーは2度、日本に来ているが2度目の来日の際は、アフリカのケープタウンで牛を購入。船の中に牛小屋を作り、牛を生きたまま日本に連れてきている。腕のいいフランス人シェフを雇い、フランス料理で日本人をもてなした。デザートでは、日本側交渉役4名の家紋を旗(お子様ランチであるようなやつ)に描き、ケーキにさして出したという。かわいらしい。日本の交渉役もケーキの旗を見て喜んだらしい。

 

ずいぶん周到な準備をしてきたのだ。教科書では高圧的な交渉という印象しかなかったが、実際は少し違うのではないか。なにせ、お子様ランチのようなことをやる男。ペリーは当初、5カ所の開港を要求、日本側は長崎のみの開港を主張。宴会の四日後に結ばれた日米和親条約では、下田、函館の開港に落ち着いた。

 

武力を用いない形で交渉を成功させたものの、帰国後のペリーへの風当たりは強かったらしい。アメリカでは南北戦争(1861~1865年)に向けて国内の情勢が怪しくなっている時代。そんなときに国費を膨大に使って何をしているのかという。命がけで航海をしてきて交渉を成功させたのに、ちょっとかわいそうになってしまう。面白い番組でした。

 

 

 

▼映画の感想『デトロイト』を書きました。アメリカで1967年に起きたデトロイト暴動。暴動のさなかに起きたアルジェ・モーテル事件を題材にした映画です。ずっと拷問されてます。ヨヨヨ‥‥。