玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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未解決

▼今年初めてのアメリカンチェリー。甘くなし。残念。少し早かったのかな。アメリカンチェリーは大粒で大雑把な甘さというか、居酒屋のやたら元気な店員みたいで好きなのである。よくわからんたとえだけど。以前に一度、桐の箱に入った佐藤錦を頂いたことがある。あんまり甘いので驚いてしまった。でも、どうも野性味がないというか、上品で育ちが良すぎる感じ。私の安い舌に合わないのかもしれん。安いアメリカンチェリーのほうが落ち着く。ああ、これこれ、という。とはいえ、佐藤錦をくれるというのであれば、是非もらってくれというならば、それはもう喜んで頂こうという話ですけども。どこからも来るわけがない。

 

 

 

▼隣席のTさんが怒りながら席に戻ってくる。怖い。TさんはYさんという社員と折り合いが悪い。Yさんは書類を受け取るときに面倒臭そうにしたり、あからさまに溜息をついたり、たしかに感じは良くない。

 

Tさんは「あいつ、ほんと腹立ちません?」と言うが、腹が立ったことはなかった。なんだろ。アメリカ人がプレゼントをもらったとき、包み紙をビリビリに破いて開ける。あれは「中身が楽しみで待ちきれない」という表現かもしれないが日本人としては少し抵抗がある。文化の違いというか。Yさんの嫌な態度も文化の違い、あの人はああいう人ということであまり気にしてなかった。

 

と説明をしたところ、Tさんはまったく納得してない。「敵ですよ、あいつは」と怒っている。しかし、敵というのはそんなに悪いものではないと思うのだ。思えば私が鬼のような先輩に仕えていたとき、たしかにつらかったが、そういう敵や苦境こそが自分を育ててくれた。戦国時代の武将山中鹿之助は「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と言った。どんどん来い、そんなものじゃ俺はつぶされないぞと自分を奮い立たせたのだろう。鹿之助は、敵こそが自分を大きく成長させるということを知っていたのではないか。

 

我ながら良い話、と思ったもののTさんは不満そうな顔だった。「だって敵は敵ですしー」などと言っている。ならばと、また別の話をする。蛭子さんも今は路線バスの旅などですっかり芸能人になったが、かつては漫画家だった。蛭子さんが漫画を描いていた頃、自分が嫌いな人を漫画の中で残虐に殺すことで憂さを晴らしたそうである。その心の狭さ、好き。

 

この話をしたらTさんは「そう! やっぱりそうこなくっちゃ!」と喜んでいた。人には人が納得するレベルがある。いくら立派な人を引き合いに出したところで駄目なものは駄目なのか。で、結局なにも解決してないと思います。