玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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日常への回帰

▼連休が終わった。ニュースでは「休み疲れの方も多いかと思いますが」と謎のコメント。休みとは何か。

 

今年は年末に9連休があるらしい。連休はいらんから、せめて6月に1回休みを。

 

 

 

▼タンスの引き出しからカピカピに乾燥した焼き餃子が見つかった。連休中に来た甥っ子そうちゃん(3歳)のしわざらしい。美味しい物を食べると、後で食べようととっておく習性があるとか。野生動物。タンスに入れるんじゃないよ。

 

子供を見ていると人も動物なのだなと思う。それがいつの間にか生意気な口をきくようになったり、人に無理な納期を押し付けたり、家に居場所がないからと連休中に出社し「さみしいから打ち合わせをやろう」と、私に無理に出社を強要するようになるのである。というか、いつの間にか部長の悪口を。部長にもかつてはかわいらしい子供時代があったのだ。タンスに餃子を入れていた時代があったのだ。それは知らんけど。

 

 

 

▼友人と食事。奥さんについての愚痴を4時間きく。無限に湧き出る悪口。私自身が怠け者なわけで、実は奥さん側の気持ちもわかる。友人は独立志向があり、組織に属さずに一人でやっていきたい。奥さんとしては安定した生活が良く、独立などにまったく興味はない。友人がする仕事の話にもまったく興味を示さない。家で朝から晩までテレビを観て、友達と食事に行き、ネットではバチェラージャパンやドラマを1.5倍速で観て、コンサートやアイスショーに行くのが趣味らしい。当然仕事はしない。いいじゃないか。理想の生活。私だって、養ってくれる人間が許してくれるなら盛大に怠けたい。野望も何もない人生である。

 

怠け者な奥さんが駄目で、独立志向のある友人が立派かといえばそれも違うように思う。向いている方向が違うだけで、どちらが正しいとか偉いとかいうわけじゃないような。お互いの志が合わないというのは不幸ではあるけれど。なかなか難しいところ。

 

 

 

▼テレビで歴史学者の磯田先生が米沢藩藩主、上杉鷹山の話をしていた。財政難の米沢藩を建て直した功労者。先生は鷹山が好きすぎて、鷹山の話をしていると感極まって泣きそうになるのがかわいいところ。今回は泣きそうではなかったけど。ちっ。

 

聖人君子という言葉があるけれど実際にその言葉がぴったりくるのは上杉鷹山をおいて他にいないように思える。藩で死罪になった罪人がおり、処刑のさいに鷹山は涙を流したという話。あれは罪人なのだから泣く必要などないと周りが言ったが、鷹山は罪を犯すような状況に人をおいてしまったことについて悲しんでいる。どこまで為政者が社会に責任を負うかは難しいものの、政治を行う者には社会をよい方向に変える可能性があるわけで鷹山はそれを強く自覚していたのだろう。

 

罪を犯したのはもちろん個人が悪いのだけど、罪を犯すような状況がそこにあったのではないかと疑ってみることは重要に思える。今は自己責任論がとても強いわけで、もう少しシステムの問題についても考えたほうがいいと思うのだけど。映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』でも社会からこぼれ落ちた人間について取りあげていた。

 

鷹山というのは不思議な人に思える。奥さんは知的障害があり、知能は幼い子供ぐらいだったらしい。鷹山は彼女を邪険に扱わずに人形遊びやままごとを一緒にやっているんですね。奥さんは30歳ぐらいで亡くなってしまう。世継ぎがいるわけでもないので周囲から側室をとることを薦められる。側室との間に二人子供を作るが、子供たちも側室も亡くなってしまう。鷹山はもう側室はとらず、そのまま生涯を終える。

 

鷹山は殿様だから、毎日違う側室と過ごしてもかまわないし、誰から責められるわけでもない。むしろ世継ぎを作ることが義務という面もある。でもそういったことはしない。現代から見れば普通の人に映るかもしれませんが、当時はかなりの変人に映ったのではないか。庶民が飢えないように心を砕き、みずからも一汁一菜、木綿の服を着て粗衣粗食という庶民のような生活をしている。身分の差が当たり前だった時代に、人は平等だと信じていたように思える。この時代にそんなことを口にすれば身分制を否定するから言えるわけもないが。鷹山が過ごした時代は戦争もなく、派手で英雄的な活躍をしたわけでもないからドラマなどで取り上げられることもない。だが、真の偉人とは鷹山のような人をさすのではないか。磯田先生が鷹山を語るとき、涙ぐむのもわかる気がする。