玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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蝶番

▼肌寒し。今日も戸棚の蝶番(ちょうつがい)を交換。先日のものよりうまく付けられた。これを生業として生きていきたい。日曜大工の楽しさに目覚めそう。

 

「そんなこと業者に頼めばいいじゃないですか」と言われたけれど、べつに嫌でやっているわけではないのだ。釣りも仕事としてやれば漁師だけど、趣味で早起きして釣りに行く人もいる。お金を払ってディズニーランドに行くだけが娯楽というわけじゃなくて、楽しめることはそこら中にあるんじゃないのかなあ。

 

元の上司が「どんな所にも光はある」と言っていた。ある事をするのにそれを作業や義務としか受け止められないのは、あまりにもつまらないように思える。できればすべてが初めてである赤ん坊のように受け止められたら、いろいろと楽しくなるのではないか。

 

オギャアバブバブ、オギャアバブバブの精神でいく。日々、オムツを交換してもらいながら生きていく。そういったプレイではなく。

 

 

 

▼知り合いが観ているというので、つられてアニメ「どろろ」を観る。面白し。戦国時代。凶作や戦争にみまわれた領地に繁栄をもたらすため、領主は子供を生贄に捧げることを鬼神に約束する。生まれてきた領主の子供は目、耳、手足、皮膚がなかった。これを忌み嫌った領主は赤子を捨ててしまう。捨てられた赤子は拾われ、みずからの体を取り戻すためにあやかしを倒していく。

 

捨てられた子供であり、超人的な力を持つ「百鬼丸」がタイトルではなく、一緒に旅をする平凡な子供「どろろ」がタイトルになっているんですね。何かありそう。「百鬼丸」は怒りで鬼に変わりそうになるし、かろうじて百鬼丸を人に留めているのがどろろの優しさで、それこそが物語の鍵なのかもしれない。

 

ぼーっと観ておりましたけど、昔は生まれついた身分の差がすさまじい。貧しい人は一生貧しいまま死んでいく。格差社会ということが言われるようになったけど、そもそも人の歴史はずっと格差社会でそれが一瞬埋まったように錯覚できたのが昭和、平成という時代だったのではないか。格差といっても、どろろの時代のように侍による切り捨て御免というほどではなく、そこまでの格差でもないけれど。

 

格差社会こそが当たり前だからこそ誰もそんなことは言わなかった。でも、一度平等と信じ込み、それが定着したがゆえに「格差社会」が出現したように感じるのだろうか。ずっと格差があった昔に格差社会と言わず、今これを言う。不思議。

 

 

 

▼映画の感想「ブラッド・スローン」「ライフ」を書きました。「ブラッド・スローン」は飲酒運転で刑務所に入った人が中で変貌していく話。ほんまアメリカの刑務所は地獄や! 「ライフ」は古典的SF。人類が遭遇した知的生命体は凶悪でした、という。うーむ、ほんとこれ何百回作るのかねえ。でも観ちゃう。