玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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今一つの日

▼飲食店を紹介する番組を観る。店員が料理を運んでくると、芸能人が「ありがとうございます」と言っている。うーむ、カメラがない状況でも御礼を言っているのだろうかと怪しむ。べつに言っても言わなくてもいいではないか。こんな小さなことが気になるとは心がささくれだっているのでは、と考える。

 

 

 

▼今日の打ち合わせは、お金の話に終始した。この頃、金持ちも貧乏人もお金の話ばかりしているように感じて、なんだかげんなりする。なんでこんなにお金の話ばかりになるのかと思う。真面目になっているのかな。

 

ひと昔前の野球選手は、銀座に飲みに行って次の日に酒臭いまま打席に入ってヒットを打ったなんて話がよくあった。今はそういった選手は許されないし、どこまでストイックになれるかが求められている。会社員も同じなのかな。前の世代よりもずっと真面目になったように思う。会社員が真面目になるということは、会社の目的である利益追求に真剣になることだから、ずっとお金の話をしていても何もおかしくない。真面目であればあるほどお金の話をしていることになる。

 

ふーむ、そうなると友人Nは偉い。お金の話も、仕事の話もまったくしない。「駅で階段上ってる女の子のスカートの中が見えそうになった。もうちょっとだったのに!」という話をずっとしていた。中学の頃からまるで変わっていない。

 

変わった方がいいのでは、と思いました。

 

 

 

▼映画監督、小津安二郎のエッセイを読んでいる。女優、原節子についてのくだりが面白い。

 

「(原節子は)芸の幅ということからすれば狭い、しかし原さんは原さんの役柄があってそこで深い演技を示すといった人なのだ。例えば、がなりたてたり、子守っ子やおかみさんのような役はあの人の顔立ちや人柄が出来上がっていないというそれを『原節子は大根だ』と評するに至ってはむしろ監督が大根に気づかぬ自分の不明を露呈するようなものだと思う」

 

私はどこかで役者というのは、あらゆる役を演じられる人が偉いものだと思っていた。ライアン・ゴズリングジェイク・ギレンホール、ファン・ジョンミンなどが好きなのも、その理由による。でも、違うのかもしれない。原節子というとおとなしいけれど芯は強くて、尽くす女性という役柄が多いように感じた。「東京物語」などはまさにそうだけど。役柄の幅の広狭は関係なくて、とにかくその作品が良ければそれでいいのかなと思う。もちろん、いろんな役ができれば、やはり「ああ、こんなこともできるんだ」と感心はするけれど。それはそれだけの話で、ようは作品が面白いかという。当たり前の話ですね。

 

しかし、小津監督、よく読むと原節子が大根であることは否定してないのだな。それで使い続けるのも面白いけど。

 

 

 

▼映画の感想「イントゥ・ザ・ストーム」を書きました。大きい竜巻が出てくる怖い映画でした。小学生でももうちょっと何かうまいこと説明するのでは。面白かったです。