玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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迎えにいく技術

廃線になる鉄道の営業最終日に押しかけるファンのことを「葬式鉄」と呼ぶときく。いい呼び名。廃線のときにみんなが集まるのはたしかに葬式っぽい。センスがうらやましい。

 

話は変わるが、勤めた会社が必ずつぶれるという同僚がいた。葬式鉄ではないが「死神くん」という直球のあだ名で呼ばれていた。私が以前いた会社も例外なくつぶれたのだった。恐るべき実力。彼は転職し「今度は一流企業だから大丈夫ですよ」と言っていたが、彼の勤めたシャープは台湾の鴻海精密工業の傘下に入った。いやあ、衰えんなあ実力。

 

彼と少し前に会ったが「もうこうなれば公務員しかない」と言うので止めた。国の危機を救った。

 

 

 

▼映画は誰が観ても面白い映画と、こちらから迎えにいかなければならない映画がある。10で面白さが完成するとして「ロード・オブ・ザ・リング」のようなものは、8が映画の面白さで観客は2の努力でよいとする。少し前に観た「マジカル・ガール」などは逆で、映画自体の面白さが2だとすると観客側の努力で8を埋めることになる。何本か観ていると段々と楽しむコツのようなものがわかってくる。

 

これは映画だけではなくて本だとか、音楽だとか、あらゆる分野にも適用できるのだろう。人でも。人も誰にでもわかるような魅力に溢れた人がいる一方で、なかなか魅力が伝わりにくい人がいるのではないか。うまくコミュニケーションをとることで、わかりにくい魅力がわかることもあるんじゃないのかなあ。「面白くない人」がいるのではなく「面白さを理解できない私」が存在しているだけという。とはいえ、本当に面白くないということもあるかもしれないけど。面白いものはほっといても面白いわけで、面白くないものをどう面白がるか、それが重要ではないか。

 

そういうわけで「迎えにいく技術」ということを考えている。うさんくさい新書にありそうなタイトル。迎えにいくのはよいとして、具体的に「迎えにいく」とはどういうことを指すのだろう。人が対象であるなら、やっぱり人に興味を持つということかな。なんの作品か忘れたが、渡哲也さんが「あんた、故郷(くに)はどこかね?」と訊ねていた。タモリさんの「髪切った?」でもいいけど。故郷、家族、体調、様子の変化とかシンプルなところから相手に興味を持っていくという。

 

ちょっと前の世代は意識せずに当たり前にやっていたことかもしれない。結局、当たり前のところに戻ってくる話を長々書いてしまった。今後は「あんた、故郷(くに)はどこかね?」ですよ。これでいく。いまどき、くにて。急にどうした? ってなりそうですけど。

 

 

▼映画の感想「帰ってきたヒトラー」を書きました。いやあ、帰ってきましたねえ。本物そっくり。現代ドイツにヒトラーが帰ってきたらというコメディ。観ているうちに段々と笑えなくなってくるのが怖い。面白かったです。

 

 

▼ゲームの感想「ヴィーナス&ブレイブス ~魔女と女神と滅びの予言~」を書きました。今更2003年のゲームの攻略情報を書くとは。書くのだねえ、人は。他人がやったみたいに言いますけども。あまりにも情報がなくて自分が困ったので書いといた。