玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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読書量と人格

▼同じ星3(五段階評価)の映画を観るなら、みんなが星3の評価を付けた映画よりも、星1と星5を付けたので平均として星3になった映画を観たい、と言ったら「全然わかんない」と言われた。難しいことは何も言ってないと思うのだけど。「どういう意味?」と訊かれたが、ポンコツなので同じ説明をまたしてしまう。で、また「全然わかんない」と言われた。そりゃそうだろうなあ。私、同じことしか言ってないからな。

 

コミュニケーションの難しさを知る11月上旬。

 

 

 

▼仕事でお付き合いのある方の読書量がすごくて年間千冊も読むという。驚いてしまった、と同時にちょっとがっかりしてしまった。というのも、彼は部下の叱り方が執拗で1時間ぐらいずっと叱っているときがある。隣席のTさんによると最長4時間という記録があるらしい。誰か止めたらと思いますけど。

 

注意された相手が、自分のミスの意味がわかってないならともかく、そんなに長く叱る意味もよくわからない。注意して同じミスをしないよう対策を立てさせれば5分か10分で終わりそうなものだけど。その人は話が長いのと、言い方がくどいので周囲からは浮いてしまっている。いくら本を読んでもまったく学習してないように思う。

 

本をたくさん読む人には憧れがある。読み続けていればどこかで私も荒俣宏さんのように温厚で博学多才な人になれるのではないかという儚い願い。しかしですね、年間千冊読んでいてこれならば、ポンコツはどこまでいってもポンコツということになりはしないか。読んでも考えないから、まったく人格に反映されないのだろうか。

 

そもそも私も偉そうなことは言えない。すばらしい人物が出てくる映画を山ほど観ている。それでこの人格だからなあ。あれかな、ネルソン・マンデラ元大統領のようなすばらしい人物の映画を観た後に、女子大生とおじいちゃんが裸でバスルームに閉じ込められるような映画も観ている。すばらしい物と変な物がお互いに作用して打ち消し合っているのではないか。だから私はポンコツなままなのか。知らんけど。

 

 

 

▼そういったわけで映画の感想「バスルーム 裸の2日間」「シング・ストリート 未来へのうた」「イップ・マン 継承」「日本春歌考」を書きました。書きすぎである。

 

「バスルーム 裸の2日間」は上に書いたような内容です。なんだこれという。「シング・ストリート」はアイルランドの音楽映画。「はじまりのうた」「ONCE ダブリンの街角で」などのジョン・カーニー監督。ジョン・カーニーはいいのを撮りますねえ。「イップ・マン 継承」はカンフー映画。ドニー・イェン主演のイップ・マンシリーズの3作目。もはや佇まいが哲学者のよう。いい! 黙々と木人椿を打ち続ける姿をずっと観てられる。3時間観てられる。「日本春歌考」は本当に奇妙でよくわからない青春映画。予告編の威力がすさまじいので、是非予告編だけでも「親は呪え! 師は殺せ! 友は裏切れ! 女は抱け!」とか出る。頭おかしいのか。

 

 

 

▼ここ一週間、ゲームばかりやっていたのだ。「Destiny2」というFPSです。撃って撃たれて殴られてみたいなゲームである。荒涼とした惑星を転々としながら戦いますが、廃墟がうら寂しくていい感じですね。景色がきれいで和みます。和んでると死ぬけど。

 

 

「Destiny2」は11/18までPC版が無料配布されています。追加のダウンロードコンテンツ「孤独の影」は有料ですが、特にやらなくても楽しめますしクリアもできます。興味ある方は孤独の影を買いましょう。

 

洋ゲーの自由度の高さというのはやはりすごい。有吉さんが以前ラジオで言ってましたが、西部開拓時代を基にしたゲーム「レッド・デッド・リデンプション」で、アウトローになって金持ちの娘を縛り上げて線路に寝かせて楽しんでいるそうである。あんた、人の子かという。

 

あんまり滅茶苦茶やると懸賞金がかけられて町ですぐに殺されるから、山でマタギみたいな生活を送るしかなくなるみたいだけど。とにかく洋ゲーは好き放題できる。スカイリムでも無差別に町民を殺せることに感心した。町民が死ぬことでイベントが発生しないことがあるんですね。これよく決断したなあという。というのも、作り手の心情を考えると一生懸命に作ってるから、隅から隅まで楽しんでほしいはずなのに。日本のゲームだと、そういったキャラは絶対死なないように保護すると思うのだけど。そこまでして自由度を守っているところにすごさを感じる。

 

「レッド・デッド・リデンプション2」買おうかなあ。買って、金持ちの娘をさらって線路に寝かせようかなあ。なんのために。