玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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ハロウィン祭り

▼今年も荒れる渋谷のハロウィン。成人式があんまり荒れなくなったと思いきや、ハロウィンが荒れだした。結局、どこかで荒れる。若者は荒れる。

 

どうにかして荒れるのを防げないものか。ハロウィンの仮装をSNSで自慢するのが流行。ようはかっこいいと思っているからで、真逆にすればすぐに廃れるのではないか。まず、渋谷区長がハロウィン開幕を宣言して長々と演説。大音量でかかる東京音頭と、踊り狂う盆踊り会のみなさん。これだけで7割の若者が逃げるはず。まだエネルギーが余っている連中には神輿を担がせる。さらに、サクラで美男美女を雇って、テレビのインタビューに答えさせ「なんかハロウィンではしゃいでるの恥ずかしくないですか?」ぐらい言わせれば、もう誰もやらなくなる。プロバガンダで支配する。

 

行動原理が「モテる」「イケてる」「自慢したい」ぐらいなので、その逆をやれば廃れるはず。「ハロウィン祭り2019 今年はみんなで渋谷に集合だ!」と行政が号令をかければ、かなりのダサさが期待できる。ダサい私が言うんだから間違いない。来年は是非この方向で。

 

独裁者というのは、自分が気に入らない風習が発生したらどうするのだろう。やめさせるのかな。ブラジルのサンバカーニバルとかどうだったのだろう。ウィキペディアによると1723年からやってたらしいけど。ノリノリの独裁者だったのだろうか。「いやらしいので良し!」とか許可していたのかなあ。経済効果がありそうだからほっとく、というのもありそうな話だけど。

 

 

 

▼動画配信サービスが充実してきたおかげで、ずいぶんと過去の物を観ることが多くなった。よくわからない現在の物よりも、レビューなどで評価がある程度定まっている過去の物のほうがハズレが少ない。本当は、そういったハズレを恐れずになんでも手当たりしだいに体験していくべきというのはわかるのだけど。ハズレは引きたくないという気持ちもあるわけで。

 

森博嗣さんのブログを読んでいたら「電子書籍の普及によって作品の質の向上があるのでは」みたいなことが書いてあった。書店には物理的に置けるスペースが限られているがネット上にはそれがない(厳密にいえばサーバー容量という制約はあるもののないに等しい)。今までは新刊が出れば旧作は移動されてしまっていた。だがネット上ならば旧作を手に入れる手間は新作と変わらない。そうなると作品の質が重要になってくる。

 

もうここまでくれば、新作にこだわる必要などなくて良質な旧作を観続けたっていいわけだ。前からそうしているけど。当然、自分が好きな作品だけを追い続けたっていい。そうなると、異常に寅さんのことが好きで詳しい、寅さん小学生なども誕生しているかもしれない。知識や嗜好が今までよりも大きな偏りをみせることで、異常なまでにあるジャンルに詳しい人間が増えてくるのだろう。そういう人間が大きくなって作品を作り出すと、どうなるのかなあ。さらに先鋭化した作品が生まれてくるのだろうか。好みの先鋭化が私たちの生活に何か影響を与えたりもするのだろうか。

 

とりあえず、寅さん小学生が生まれるのではないかぐらいしか思いつかない。べつに生まれたっていいんでないの、という話ですけど。

 

 

 

▼映画の感想「ビー・バップ・ハイスクール」を書きました。1985年公開の不良映画。当時、まだ小学生で観たことはなかったわけで、ついに今回ビー・バップデビューを果たしたわけである。果たさんでいいという話もある。昭和の価値観に圧倒される作品だった。「男よ、不良になれ 女よ、お嬢様になれ」というキャッチコピーにいきなり打ちのめされる。みょうに人を恥ずかしい気分にさせるものがある。もう観てられないというか。そこに変な魅力を感じる。奇妙なエネルギーが横溢した作品。