玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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恐喝に負けない

▼殺人オニゴッコ「Dead by Daylight」をやりすぎたせいか手首が痛い。腱鞘炎になりかかる。おまえはいい歳をして、いったい何をやっているんだという話もございましょう。だが、私は負けない。おまえのゲームにかける情熱はそんなものか。アタイ、腱鞘炎になんて負けない! ダンベルで手首を鍛えてまでやるDead by Daylight。

 

努力の方向を間違え続けてここまで来た。わかっているんだ、何が正しいかなんてことは。

 

 

 

▼外国の料理番組を観ていると、ベーコンの上に砂糖を山盛りにしてオーブンで焼いたり、肉に甘い味付けをすることがある。あれはありなのかと悩む。日本人にはない感覚。一度試してみたかった。焼いたベーコンと砕いたナッツをピーナッツバターで和えてスパゲッティの具にしてみた。何が正解かはわからないが、少なくともこれが正解ではないという味。ありといえばありというか、なしといえばなしというか。それは結局、なしということだった。

 

 

 

▼学生時代の友人と食事。友人Sは後ろ向きな話が多い。それを嫌ってか、友人Nは最初から来なかった。Nのようにはっきりと「話すことないんで」という断り方はすごい。私は、しょっちゅう会うわけでもないからと参加し、愚痴の多さにうんざりして毎回帰ってくるわけで、Nのようにきっぱりと会わないという態度をとったほうがいいのかもしれない。なかなかそこまで思いきれない。

 

愚痴も笑えるところまでもっていけば、それは芸になるけど普通はそこまではいかない。聞かされる方は気が滅入るのみである。なぜ滅入るのか考えてみた。Sの話し方は自分の否定から入る。現状について「俺なんか全然駄目だよ」という態度で、それは本当にそう考えているのかもしれないけど、こちら側の「そんなことないよ」を期待しての「俺なんか駄目だよ」なのだ。「そんなことないよ」の恐喝。

 

そうするとこちらとしても意地でも「そんなことないよ」を上げたくないわけで、「そんなことないよ」のカツアゲにひたすら堪え続けることになる。言えば愚痴が止まるのだろうけど、正座した膝に石を抱かされても言わん、ぐらいの決意で言わない。それぐらい言ってやりゃあいいじゃないかということですが。帰り道には「完璧な人間などいないし、普段苦しいのだから優しい声ぐらいかけてやればいいのに。俺のバカバカ! 意地悪!」みたいな自己嫌悪に陥ったりもする。すぐ忘れますけど。

 

てな事を思いながら、映画「永い言い訳」の感想を書きました。冒頭のね、モッくんと深津絵里のやり取りがまさに「そんなことないよ」のカツアゲでイライラするのだ。あー、もう本当に! 私が愚痴をくるんで笑いに変えればいいけど、そうもできないところがいけないのかな。

 

あと「エクスポーズ 暗闇の迷宮」も書きました。「ノック・ノック」でキアヌ・リーヴスと共演したアナ・デ・アルマスが主役。きれいな人。キアヌは今回は脇役でした。短髪だとキアヌもおっさんぽい。