玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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俺の若い頃はクーラーなんてなかったおじさん

▼あぢぢぢぢ。台風一過でまた地獄の暑さが戻ってくる。ちょっと外出しただけで汗だく。7月はクーラーを多めに使ったが、それでも電気代は八千円程度だった。うーむ、三万ぐらいいくんじゃないかと脅えていたのだけど。杞憂。

 

今年は名古屋が暑いんだなあ。大変だな、名古屋の人。毎年、暑さというと群馬県館林市が有名だったが、アメダスの位置に批判(アスファルト舗装の道路に隣接など)があったため、今年6月に移転している。移転後は一度も全国トップの気温は出していない。毎年、気象掲示板では館林のアメダスについて「ズル林」と罵る人々がいたわけだが、あの罵り合いももう見られないわけか。見られなくていいけど。「ズル林」という言葉が好きだった。平成と共に終わるズル林。

 

 

 

▼俺の若い頃はクーラーなんてなかったおじさんに遭遇。いたのか、本当に。ツイッター上ではしばしば目撃されていたが、本当にいるのだなあと感心。俺の若い頃はクーラーがなかったと言うが、ないから発明されたのであって、こういう人ばかりだったら縄文時代から同じである。

 

こういうことを言う人はクーラーに限ったことでもないのかもなあ。中学の頃、ボーイスカウトに入っていたが、そのときの友人は「今年の一年目は駄目だな。俺らの頃はさあ‥‥」などと言っていた。歳は関係なく、言う人は言うのだろう。で、自分が苦労してきたから、その苦労を次の世代にかけたくないと思うか、自分も苦労してきたのだからおまえらも苦しめと思うか、ここに考え方の違いが出る。

 

じゃあ、クーラーなんてなかったおじさんと私、どちらが上にいたほうがいいかといえば、これも難しいような気がする。クーラーなんてなかったおじさんの下では忍耐力が身に付くかもしれない(死ななければ)。一方、私の下で存分にクーラーの冷風を浴びて育った人間は、クーラーがない環境にいる人への想像力に欠け、自己中心的な人間になるかもしれない。などと、無駄に想像の翼を広げた。

 

そしてクーラーなんてなかったおじさんは、部屋へ入ると真っ先にクーラーを入れるのだった。

 

なぜ、私がこんなことを書いたかといえば、クーラーなんてなかったおじさんが、なんの断りもなく納期を前倒ししたからである。私怨。本当にねえ、あいつはねえ、許しがたい。とりあえず、あいつについては「スマホの待ち受けを自分の写真にしている」とか「無免許でフグを調理して人を殺し、逃亡した先がこの業界だった」とか、あることないこと広めたい。私はそれができる男。

 

 

 

▼映画の感想「スーサイド・スクワッド」を書きました。正直なところ、失敗アベンジャーズという気がする。

 

▼ゲームの感想「クロニクル・オブ・ダンジョンメーカー」を書きました。買って封も切ってないゲームが20本近くある。そのうちの一本。