玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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怒る人

人としてこうありたいもの。いいバカ。国で保護してほしい。

 

 

 

▼猫は遊びを知っている。

音で判断しているのかな。見ていなくても、どのカップにボールが入っているのか当てている。正解すれば餌をもらえたり、なでられたりしているから、純粋な遊びとは違うかもしれないけど。

 

「四十歳を超えたら自分の顔に責任を持たなければならない」という言葉がある。この言葉を言った人は内面が顔に現れると思っているのだろうなあ。私は必ずしもそうは思わないけども。だけど、猫ってどうなんだろう。野良猫はきつい顔をしたものが多いようだし、家猫は穏やかな顔をしたものが多いように思う。

 

ただ、それは野良猫を見かける状況によるのかな。野良猫は警戒を緩めることが少なく、写真を撮られるときも警戒しているから、きつい顔で写ることが多いというだけなのだろうか。内面が外見に影響するかは興味深いところ。

 

 

 

サウジアラビアの方と打ち合わせ。前と同様、仕事そっちのけでサウジアラビアについて教えてもらう。仕事なんかどうでもいいんだ。

 

彼は理系の人間でエンジニアなんですね。生物学の勉強もしていたらしい。で、サウジアラビアイスラム教を国教としている。そうすると難しいのが科学とイスラム教の教義との矛盾。宇宙、進化、細胞などを勉強してしまうと、どうしても教義のおかしさが目についてしまう。神の不存在について確信してしまうと、ちょっと暮らしにくくなる。

 

だから国にいる間は内心を押し殺し、親戚の前ではイスラム教を信じているフリを続ける(今でも)という。医者などもこの矛盾から逃れられず、みな表向きは信仰があるフリを続けて仕事をしているという。滑稽なことに思えるけど破綻しないのだろうか。イスラム教国の天文学者たちは、どうやって活動しているのだろう。最新の理論の発表などとても無理だろう。

 

高度な教育を受けられない人ほど無批判に神を信じている。そこが問題なのだとおっしゃっていた。王族は高度な教育を受けているはずで、教義と科学の矛盾にも気づいているだろう。その矛盾に目をつぶることが科学の進歩を遅らせているだろうし、それは国の進歩を遅らせることにもなるだろう。それでも信教の自由を是認することは難しいのかな。興味は尽きない。

 

 

 

▼ちょっと仕事でミスりまして、久しぶりにとんでもなく怒られた。わはははは。笑ってる場合ではない。反省しよ。

 

いやあ、最近怒られなくなってたからねえ。ここまで怒られるってちょっとないぐらいの怒られ方だし、だいぶ罵倒された。そこまで怒るほどのことではないというのが正直なところだけど、その人にとっては看過できないことだったのだ。

 

どこかに金銭的な損害を与えたということではなく、通常の手続きを飛ばしたということが問題なのだけども。ちょっと興味深かったのは、怒っている人の怒り方がとても感情的だったため、その場にいた人々は誰も彼を支持しなかったことである。私がやらかしたわけで、私が偉そうに言えることではないのだけど彼の理屈は正しいのだ。

 

でも、正しいというだけでは周りは動いてくれないのかもしれない。自分が持っている正しさを振りかざして人を責め立てたとき、その正しさがとても嫌な感じに周囲の目には映ってしまう。ミスをしない人間はいない。だから、その禍々しい正しさが次は自分の方に向かうこともあるという危険性をどこかで感じて、みな彼を支持しなかったのだろうか。

 

「腹が立って怒りたい人は自分のことを偉いと思っている」というようなことを明石家さんまさんが言っていたけど、そうなんだろうなあ。おまえら、なんで気づかないんだ、バカなの? という傲慢さが彼からにじみ出ていた。そういう傲慢さは周りの人に必ず伝わる。そりゃ嫌われるし、そんな人間、誰も支持したくなくなる。結局、嫌な人になっちゃダメなんだよなあ。人を見下したりせずに真面目にやっていくしかない。

 

それはそれとして、彼の理屈は正しいのだから、その方向で修正しなければならない。みな、感情に流されてしまって私のやり方を支持してくれたのだけどそれは間違っている。今、私がすべきことは何か。よくわからんけど、とりあえずブログを書くことではない。それだけはわかっている。まったく反省せずに生きている。もっと怒られりゃいいんだよ。

 

 

 

▼映画の感想「プラダを着た悪魔」を書きました。カリスマパワハラおばちゃんの下で働く話。メリル・ストリープはすごいねえ。この人の下だけには付きたくない。