玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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リーダーシップ

▼「リーダーシップのある人、求む」などという求人募集を見たことがある。リーダーシップなど生まれてこのかた持ったことがない。ゲームと同じで、人には伸びにくいパラメータがあって、戦士に知力、魔法使いに腕力を求めても無駄である。私にリーダーシップはない。私は親から「寝つきがいい」という要素にパラメータのすべてを振られて生まれてきた。なぜ。もう少し、頭脳、力、顔、リーダーシップなどに割り振ってくれたらよかったのに。

だけど、「リーダーシップ意外とありますね」と言われることがあった。ふと思ったのだけど、リーダーシップというのは責任感に似ているのかもしれない。リーダーシップを持てとか、経営者のように考えろなどと言われますが実際にどうするという具体性がない。コンビニにリーダーシップが売っているわけでもなく、平社員の給料しかもらってないのに経営者のように考えられるわけもない。どうもフワッフワしておる。「よし、今日からリーダーシップを持つぞ!」と決意したところで、何をどうすればいいのかわからない。

 

そもそもリーダーシップなど持つ必要がないし、経営者のように考える必要がないのだ。なぜ、リーダーシップを持ち、経営者のように考えなければならないかというと、仕事の完遂のために必要だからであって、リーダーシップを持つことや経営者のように考えることが最終目的ではない。私が「リーダーシップが意外とある」と言われたときは、全部自分でやる気で計画を立てていたときだった。

 

少し期間が長めで人手がかかる仕事で、予算を調べてスケジュールを作成し、必要な人員やスキルを調べて見積もりをとってなどとやっていたら、いつの間にか中心にいた。会議であまり発言できないという人も、計画を作成していけば具体的にどういう作業が必要か見えてくるし、そうすれば自然と発言も増えてくる。たいして調べなくても発言できる人がいるが、それは経験があるか、よくわかってなくて適当に言っているかどっちかである。

 

今、集合住宅の理事会で夏祭りの準備をしているが、夏祭りも同じで期間を設定して、そこまでに当日はどういったイベントをやるか、そのために誰にどんな順番でイベントをやってもらうか、飲食物の手配はどうするか、場所の確保は、司会は誰か、音響は、電源は足りるか、などと書き出していけば、どんどん決めなければならないことが見えてくる。それは能力というより、責任感に思える。全部自分でやる必要はないし、そんなことはできないけど自分でやるつもりで計画を立てると具体性を帯びてくる。本当に特別な資格や能力が必要な仕事は少なくて、多くは責任感で成り立っているように思うのだ。責任感で地球は回る。

 

とはいえ、私は「寝つきがいい」にパラメータのすべてを割り振られた男。布団の上から動きたくない。