玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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針供養

▼町娘のDNAが騒ぐのか、たまに繕い物をしたくなる。コートの肩のボタンを付け直した。満足。

 

そういえば、針供養というのがあるが、あれの意味がよくわからない。針をブスブスとコンニャクに突き刺すやつ。針的には、コンニャクに突き刺されて嬉しいのだろうか。いつもと違って柔らかいものに刺してやってるんだぞ、嬉しいだろ? ということなのかな。仮に針が嬉しいとして、そこで出てくるのがコンニャクの気持ちである。いきなり、体中を針に突き刺された俺はどうなるんだという。コンニャク供養はせんでいいのか。

 

コンニャクの権利が侵害されている。許すまじ針供養。世界中を敵にまわしても針供養に反対していきたい。というか、出ましたね、面倒臭い人。思春期の頃にいろいろこじらせたんだろうなあ。

 

 

 

プレミアムフライデー開始(2017年2月末)から1年が経過。あまり定着しなかった印象。そもそも月末月初といえば企業にとっては忙しい時期だし、最終の金曜日に早退というのは無茶かもしれない。立ち止まって考えれば当たり前なことだけど、気づかないで実施したのは、わりとすごいことかもしれない。気づかんで突撃ということを、実は私も仕事でよくやっているのかもしれない。気をつけよ。

 

 

 

【フロリダ高校乱射】トランプ氏、教師が銃で戦えば「たちまち終わる」

教師が銃を持てば本当に乱射事件は防げるのかな。今度は、銃があっても怖くて戦えなかった教師たちが批難を浴びることになるかもしれない。

 

だが学校の教師が銃を持つようになっても、ちょっと前に起きたコンサート会場への銃撃事件のように、他に人が集まる場所での乱射事件が増えるだけに思えるのだけど。仮に学校での乱射が減っても、よそで増えたらどうにもならない。じゃあ、他の場所でも銃を携帯せよということになって、今まで以上に銃が増えていくのでは。もし仮に日本のラッシュアワーのような状況で、みんなが銃を持っていると考えると怖くなる。しばしば揉めるのも目にするわけだし、あれば使ってしまうこともあるのではないか。

 

「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」という全米ライフル協会(NRA)のスローガンは正しいように思う。だから良い人間に銃を持たせて、悪い人間から守りましょうということなのだろうけど。だが実際のところ、良い人間は銃を持たないことが多いだろうし、悪い人間が銃を使ってしまう。人が人を殺そうと考えるのが悪い事であって、銃に罪はないと主張するかもしれないが、大量殺人を考えたときに手に入りやすい道具は銃だろうし、銃が使われているのだから規制するしかない。

 

アメリカは全米ライフル協会(NRA)が議員に献金をし続けているから、銃規制法案は通らない。マイケル・ムーアが「ボウリング・フォー・コロンバイン」を撮った頃からまったく変わってないのだろう。結局のところお金の話でしかないようにも思う。

 

 

 

▼一緒に仕事を請けているN氏と打ち合わせに行く。打ち合わせの相手が遅れており、現れない。ただ、パーテーションの向こうから険悪な雰囲気だけが伝わってくる。

 

「だからさあ、結局なんでできなかったの?」「部署間の要望の調整が難しくて」「そんなの当たり前だろ。そこをさあうまくやってもらわないと」「じゃあ、Dさんが自分でやってみてくださいよ!」「‥‥やってもいいけど、おまえの仕事なくなるよ」

 

そして衝立の向こうから現れたDさん。「いやあ、どうもどうもお待たせしまして。どうなの? 相変わらず忙しいの? ねえ? 俺はもうこれ(ゴルフのスイング)ばっかだけど」などとにこやか。「今日ねえ、M(担当者)は急な用事で来れなくなっちゃってねえ」などと打ち合わせが始まる。Mさんは、さっきパーテーションの向こうで戦ってたけどなー。終始、ハニワのような無表情で打ち合わせを終えた。私はただ楽しくお仕事がしたい。いや、楽しくなくてもいい。心安らかにお仕事がしたい。

 

 

 

▼映画の感想「ニーチェの馬」「THE ICEMAN 氷の処刑人」を書きました。「ニーチェの馬」は人生についてのあれやこれや。すごく変わった映画です。「アイスマン」は100人以上を殺害した実在の殺し屋を基にした作品。