玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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向き不向き

▼牡蠣のチャウダーの具材を買いに。

 

公園を通りかかったら、3,4歳ぐらいの男の子が棒を振り回して、私の方に斬りかかってきた。「えいっ! ビシュー!」と斬ったフリをした後、期待に満ちた目をこちらに向けてくる。汚れのないつぶらな瞳だこと。これはあれだなあ、やらないと駄目なやつなんだろうなあ。でも私、そういうの苦手なんだよなあ。しかし、子供に向かって「そういうのは、ちょっと」というのはおとなげないではないか。しばらく逡巡した後、照れつつも胸を押さえ「う、やられた~」とやってみた。男の子はちょっと首を傾げ「違うんだよなあ」という表情をしつつ、来た方向へ戻っていった。おまえが斬りかかってきたのに、その態度はなんだ。全員が全員、明石家さんまのようなリアクションができると思うなよ。人には向き不向きというものがある。ちょっと君、待ちなさい。と、跡を追いかけようとしてやめる。まだ通報されたくない。

 

今夜、私は牡蠣のチャウダーを作るのだ。

 

 

 

▼牡蠣のチャウダーは美味しかった。チャウダーとシチューの違いがよくわからんけど。あと、牡蠣はいらないように思った。ベーコン、ジャガイモ、ニンジン、タマネギで十分美味い。

 

 

 

▼仕事でどうしても強く主張しなければならないところがあって困った。そういうの得意じゃないんだよなあ。いつもの5倍ぐらい疲れた。

 

爆笑問題の太田さんやダウンタウンの松本さんがドラマや映画の監督をやっているが、あまりうまくいっているとはいえない。以前、太田さんがそのことをラジオで喋っていた。「森がボ~っと光っている」という画が欲しかったのだけど、スタッフが何時間もかかって作ったのは、イメージとまったく違うできそこないのクリスマスツリーみたいなものだった。でも、それを「こんなの全然ダメ」と言って作り直させることができなかったという。そうやって他人に気を遣う優しい人は、作品づくりには向いてないのかもしれない。

 

溝口健二監督や、成瀬巳喜男監督について書かれたものを読むと、ちょっと怖くなる。溝口監督は俳優の演技に満足がいかないと「今日はもう撮らない」と、引き揚げてしまう。どこが悪いとか、どう直せなどとは教えてくれない。それを考えるのが俳優の仕事なのだ。何日も自分のせいで撮影が遅れると、俳優は追い詰められて死にたくなってくるらしい。

 

成瀬巳喜男監督は、演技が気に入らないと「違います」と言って、じ~っと俳優を見つめて黙ってしまうと黒澤明監督が語っている。俳優は自分で答えを探さなくてはならない。俳優が傷つくからかわいそうとか、そんな甘っちょろいレベルの話ではないのだろう。芸術のためにそんなこと言ってられるかという。

 

でも、出来上がった作品を観ると、厳しい人が撮ったもののほうが面白いのだ。映画は人でなしが作るに限る。違うか。作品のために鬼になれる人でないと駄目なのだろう。

 

北野武監督もやはり人に厳しく言えないことが悩みだったようだけど、俳優に直接言うのではなく、助監督に言わせるという方法を思いついたらしい。なるほど。自分が言えないのであれば、言える方法を見つけないと駄目なんですね。私、助監督、いないからなあ。助監督がほしい。

 

ゲーム・オブ・スローンズ」という歴史ドラマにはまっている。もうねえ、本当によくできてますよ。ということは、これはとんでもない人でなしが撮っているんじゃないのか。是非是非。シーズン2の途中ですけど、ティリオン・ラニスター(小鬼)が本当にいい味出してますよねえ。大好き。

 

 

 

▼映画の感想「ワイルド・スピード ICE BREAK」を書きました。あいかわらずファミリー感の強い映画。映画以外のところでも、いろいろ思わされる作品です。