玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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ニシンのパイ

▼正月早々、「魔女の宅急便」がやっていた。おばあちゃんが丹精こめて作ったニシンのパイを嫌がる孫娘。アイツのことが今更気になる。子供の頃は「おばあちゃんが一生懸命作ったのに、なんて孫だ!」と憤っていたが、今は、あれはあれでいい奴なんじゃないかと思っている。

 

直接は言えないんだろうなあ、おばあちゃんに。本当はニシンのパイが嫌いだって。おばあちゃんを正面から傷つけるほどの根性もなく、かといってニシンのパイを黙って食べるほどの我慢もない。だって嫌なものは嫌。これ、よくよく考えてみると、自分自身そのものかと思う。誰しも、こういうことはあるかもしれない。

 

私が小さい頃、伯母がよく落雁を持ってきてくれた。落雁というのは砂糖の塊のような干菓子で、仏様に供えることも多い。甘いだけでそう美味くはなかった。落雁は子供の握りこぶしほどの大きさがあって、私が好きだと思って何個も食べさせようとする。本当は洋菓子が好きだけど、何かをもらって「いらない」とか「食べたくない」とはさすがに言えないわけで、いくら私が人の心を持たぬ子であっても一応「美味しい」ぐらいは言うのだ。期待に応えて2個か3個食べれば、もうご飯が入らないほど。そして伯母は落雁を持って来続けるという。

 

魔女の宅急便」の孫にも同様の配慮があったのではないか。あの子もかつては、ニシンのパイが好きでも嫌いでもない時期があり、一度「美味しい」と気を遣ったがゆえに、祖母はニシンのパイを作り続けることになったのかもしれない。誰が悪いという話でもない。まあねえ、食べときゃいいんじゃないのと思いますけども。そもそも現代は美味しい物が溢れかえっているわけで、あえて苦手なところに突っ込んでみるのもありだ。「ぐえー、今年もやっぱりまずかった!」となってこそ真の行事と言えよう。大人になれば、苦い思い出も笑って話せる。孫には堪えろと言いたい。

 

伯母はすでに亡くなっているが、あの世で再会した暁には「あの落雁は、正直なところ、ちょっとアレだったなあ‥‥」などと、それとなく伝えようと思う。また2個も3個も食わされてはたまらぬ。孫には堪えろと言いながら、自分は堪えないという。人はそういうもの。