玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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未来感がない

▼子供の頃、読んだ本に載っていた未来がある。空を飛ぶ車とか、チューブの中を走る電車とか、動く歩道とか、食べたい料理を告げれば調理してくれる電子レンジのような調理器具とか。あと、タコみたいな形の火星人がよく載っていたような。21世紀になってもそこまで劇的な変化は訪れず、案外普通の生活が続いている。あの頃、憧れた未来に今住んでいるのかもしれないけど、まったく未来感がない。現代の子供の本にも、やがて来るべき未来像が載っているのだろうか。

 

今はもう未来の中にいるんだなあ。動く歩道も一部のエリアにはあるけれど実用というより、「こんなこともできますよ」とデモンストレーション的に置かれているように思える。実現はしているが、目的地まで直通しているというような、交通機関の代わりになる便利さではない。

 

音声アシスタントなどはけっこう未来感があるといえばある。ただ、「オッケーグーグル」とか「ヘイ siri」とか、ちょっと人前で言うのはどうなんだという恥ずかしさで使いづらい。まさか、機能はあるのに恥ずかしくて使わないとは20世紀の人も予想しなかっただろう。私、スマホ持ってないから関係ないけど。思ったものとは違う形の未来が来ている。

 

今日は、まったくメールを見ない人と連絡が取れなかったり、紙の書類を山ほどもらったり、20世紀でももっとまともだったのではという打ち合わせが連続した。うーん、未来ねえ。私はどこに来てしまったのか。

 

そもそも未来に憧れるということがもうないんだなあ。インターネットが生活に普及したのは大きいけど、もうインターネット以上の劇的な変化は訪れないような気さえしている。AIによって人類が支配されるとか、ワクワクするような展開を期待したいところ。

 

 

 

▼年末である。その年に観た、面白かった映画を25本を挙げているのだけどやっぱり大作ばかりになってしまう。戦争や差別など重要なテーマが含まれていたり、膨大な予算をかけた派手な映画があるとどうしてもそっちに引っ張られてしまう。テーマが小さいとどうしたって作品も小さく見える。メインディッシュとデザート、どちらが美味しいかを比べるようなものなのかな。世相や流行を反映せず、時代との格闘などがない極めて個人的な映画を選んだっていいはずなのだ。

 

映画の感想「おっぱいとお月さま」を書きました。この映画も、ごくごく個人的な愛すべき映画に思える。誰にもお薦めという大作ではなく、好きな人だけ好きという。おっぱい大好き少年の話なんですけど。

 

大作は誰もが感想を書きたがるし、内容も似通ってしまう。ごく個人的な作品を選んで感想を書いていくほうがいいのかもなあ。