玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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The Spanish Village with Two Residents

▼隣席のTさんと世間話をしているとズボンのことをパンツと言うことに気づいた。ズボンのことをパンツと言う場合、下着であるパンツとどう区別するかが問題になってくる。女性下着の場合、ショーツとかパンティーということになるのだろう。パンティーの「ティー」の部分に何か許せないところがある。なんだ、あの「ティー」って。非常に惰弱なものを感じるし、戦前なら軍人が殴りに来たのではないか。よくわからないことを書いているけど。

 

そもそも、おっさんがショーツとかパンティーなどと言いだすと果てしない気持ち悪さを感じる。巧みにそんな言葉を使い分けだしたら気持ち悪くて仕方ないし、五寸釘で眉間を打たれて死んだ方がいいんじゃないかと思う。五寸釘と金づちは私が用意する。ということは、やはりダサかろうがなんだろうが「ズボン」という呼称を使い続ける必要がある。私がズボンと言うたびに、それとなくTさんはパンツと訂正してくる。だが、私は最後までズボンを貫いた。

 

正直に書けば、途中でパンツに変えると「ダサさに気づいて変えた」と思われそうで、それもまた癪だからである。本当にどうでもいいことしか書かない日記にようこそ。

 

 

 

▼The Spanish Village with Two Residents (Teruel, Spain)

スペイン内戦によって過疎化した村。かつては150から200人の住人がいたが、みんな村を離れてしまった。村を離れずに45年間、二人だけで暮らした夫婦。ガスも電気もない静かな暮らし。

 

町での生活を送っていると、刺激があって当たり前になる。なにか「楽しくなければ損」のような、生活に充実を強いられている気もするのだ。SNSでは日々、充実を見せびらかす競争が行われている。この夫婦のように、日々の営みだけを淡々と送る生活とはどんな気持ちなのだろう。静かな営みの中にも自然の変化を発見するだろうし、動物たちに和まされることもあるだろう。町での生活というのは味の濃い料理を食べ続けるようなもので、刺激で舌がバカになっているところがあるのかもしれない。

 

人が相対的にしか幸福を感じ得ないとすれば、静かな生活の中にも町の生活に負けないほどの幸福を見つけることはできるように思える。どうやって過ごそうが人生に正解というのはないわけだし、自分がこれでいいと心から思えることが正解なのだろうから、早くそこにたどり着ければ楽になれるのかもしれない。

 

いろいろ面白い物が溢れている世の中で、ずっと村に暮らしているのは惜しい気もする。だけど、その惜しい気がするというのは勝手な思い上がりというか、ずいぶん傲慢なことなのだろう。彼らの静かな暮らしこそが最高の幸せということだってあるだろう。