玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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慣れ

▼黄色いトマト「桃太郎ゴールド」を食べている。変な名前。「花咲じじいシルバー」とか「かぐや姫ピンク」などがあれば戦隊ものが組めそうな気もする。

 

 

ちょっとだけ柿にも似た見た目。皮は弾力があり少し固い。塩こうじに一晩漬けると柔らかくなり美味しい。トマトと一緒にキャベツ、キュウリ、大根なども漬けている。大根だけは漬ける加減が難しく、食べ頃の見極めが難しい。固かったり、苦味が強いときがけっこうあるのだ。ちょうどいい頃合いを探すのも楽しい。

 

 

失敗した時は「ちっ、まだ早かったか」などと、つぶやいてみる。王蟲の大群を止めるために未完成の巨神兵を出したクロトワの気分も味わえる。浅漬けには、一人ナウシカごっこができるという楽しみもある。41回目の夏は暑い。

 

 

 

▼久しぶりにメールを頂いた。「コメントもないのに書き続けられるのはすごいと思います」という賞讃とも嘲笑ともとれる言葉があった。ここは前向きに賞讃と受け取りたい。わたしだってコメントをもらえば嬉しいのだ。べつにコメントなどどうでもいいと思われているのかなあ。

 

コメントを頂いた日、赤飯を炊いていることをみな知らない。

 

 

 

▼外食でトンカツ。美味し。一緒に食べた人が「この店も良いけど、○○の店のほうが」といっていた。詳しい人には確かにそうなのかもしれない。食にしろ、酒にしろ、詳しくなってわかる良さもあるのだろうが、同時にいろんな欠点も見えてしまうのだろうなあ。

 

自分が書いた映画の感想を一部読み返したら、偉そうで驚いた。本来なら、観終わって「ああ、面白かった!」でいいのだけれど、やっぱり四の五のいうようになってくる。どうしても目につくところというのは出てくる。それでももっと純粋に、いい物を観たという喜びに浸りたいし、作り手に感謝もしたい。だんだんと調子に乗ってくる。ちょっと距離を置いた方がいいのかな。観る本数を減らして、心から観たいと思ったときに観るようにするのがいいかも。

 

本当にそんなことができるのかわからないが、初心にかえることを目指すべきかもしれない。どうやったらまた素直な心持ちに行けるのか。人生も同じで40年も生きていると偉そうになりがちである。うまい棒を食べて育ったはずが、やれあそこのトンカツはどうとか、調子に乗りまくっている。うまい棒を「一生これ食べられる!」と思った日を忘れてはならない。

 

やはり凡人が初心にかえるとしたら形から入るのがいいのではないか。まずはオムツをはいて会社に行くところから始めてみたい。これを変態とかなんとか罵る人がいれば、それは心が歪んでいる。わたしはもっと純粋な気持ちではいている。しかし、しばらくはいていたら「パンパースの万能性はすばらしいとか、ムーニーマンは蒸れないが吸収力が低い」とか、したり顔でいい出す自信がある。初心にかえることの難しさよ。せめて、いつも心にオムツをはいていたいもの。

 

なにこの終わり方。

 

 

 

▼映画の感想「女の賭場」を書きました。久々の任侠もの。江波杏子さんがきれいです。