▼お世話になっている会社へ。隣席のTさんを見ると両耳に輪ゴムをぐるぐると巻いていた。新しい宗教を始めたのかもしれない。温かい気持ちでそっと見守る。午後になってTさんが「輪ゴム、耳にかけてたの気づいてました?」と訊くので、うなずいたら怒られた。「なんで教えてくれないんですか。出先で恥かいちゃいましたよ~」などという。
「輪ゴムかかってたよ」というと「もうとったからいいんです」といわれる。女心の難しさよ。どうやら、輪ゴムを耳にかけて小顔にする美容法があるらしい。でも、輪ゴムをかけても一時的に小顔になるかもしれないけど、時間がたったら元に戻るんじゃないのかなあ。わたしの帰り際、Tさんの顔をしげしげと見てみたが大きくも小さくもなってないようだった。それよりも、こんな顔だったっけ? と思った。わたしが今までTさんと思っていた人と、ちょっと顔が違うように思える。どこが違うのかはうまくいえないのだけど。
Tさんが小顔になったかはどうでもよく、自分の脳に不安を覚えつつ帰る。脳が小さくなっているのかもしれない。
▼「僕の地球を守って」(日渡早紀)
SF、ミステリー要素ありと教えてもらったので読み始めました。理由はわからないがなぜか家にあった。友人Nが100冊単位で本を置いていくことがあって、そこに入っていたのかもしれない。80年代後半の作品なんですね。まだ、5巻ぐらいなので話はあまり見えてないものの、80年代90年代独特の空気を感じる。みょうに浮かれた感じというか。あと、紫苑が怖い。なにあの子。
作者がページの隅に「1/4のたわごと」という一言コーナーをやっていて近況を語っている。読者からプレゼントをもらったり、好きな曲のことや漫画の設定について語ったり、読者との距離の近さを感じる。今はSNSで作者に直接感想を伝えることはできるけれど、それほど近い感じがないのも面白い。作者もコメントを出すときには、変なことをいわないように注意しているだろう。その警戒心が遠く感じさせるのかな。
漱石についての本を読んだら、漱石が講演したとき「講演の内容がわかりにくかったら、すみませんが家まで来てください。そうしたらご説明します」といってたように思う。漱石直々に説明してくれるなんて、あまりの距離の近さに驚いた。現代のほうが人と人の距離は遠くなっているのだろうか。無遠慮な強引さというのは、減ったように思うけど。そういう強引さが懐かしくもあり、またやはり鬱陶しくもあった。昭和は遠くなりにけりか。いつかは、平成は遠くなりにけりと口にする日も来るのだろう。
どんどん書くことがおじいちゃんぽくなっているけど大丈夫か。
▼CREATIVERSE
steamで配信されている無料のオンラインゲームです。便利な道具は課金らしい。
マインクラフトというゲームがありましたが、あれとだいたい同じ。家を建てて道具を使って、いろいろ探検します。素材を滅茶苦茶に積んだだけのひどい家に住んでおります。ちゃんとしたのを作る根気と技術がない。いずれ近所からゴミ屋敷といわれる。城やテーマパークみたいなのをブロックだけで作ってしまう人がいますが、本当にすごいですね。もう、素材も適当で「石がなくなったから、途中から土を積んどこ。土もなくなったから木を使うか‥‥」で、できたのがこの家である。
最初は屋根は葉っぱだったのですが、松明を置くと豪快に燃えるらしいので慌てて違う素材に置き換えました。このゲームは楽しいなあ。読み方が今一つわからんけど。クリエイティバースなのかな。
英語なので手探り感がすごい。ただ、直観的に操作できるので英語ができなくてもなんとかなる。はず。信じたい。
これは畑に種をまきました。土を耕して隣接している部分には水を入れます。小麦などが収穫できるようです。
松明を置くと敵がわくのを防げるのはマインクラフト同じようです。目がたくさんある、ナウシカのオームに足が生えたやつみたいのが怖い。そしてわたしは鉄を探しております。素材がないと何もできないゲームである。
自宅外観。テレポーター(青いやつ)というのが便利で、好きな場所において行ったり来たりできるのがいいですね。これがあると探索がはかどる。テレポーターを持って行って、良さそうな土地だったら置いてきてそこを拠点に洞窟探検をする。
死んでしまうと、死んだ場所に一本の白い光がたちます。便利。そこに行けば、アイテムなどは全部壺にはいって置かれている。ただ、行くまでが大変なんですよねえ。たいていどこだかわからん場所で死んでるし。
白い光のところに来たものの、ここから遥か下に掘っていかないと壺までたどり着かない。面倒なのでやめる。死ぬと、方位を示すマーカーにドクロマークが出現しますが、死にまくっているのでドクロが出まくっている。全方向にドクロがある。そういうゲーム。とても楽しい。あなたもドクロマーク増やしませんか。