玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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▼4月の頭に種を撒いたバジルが芽を出した。ほんの小さな芽で、まだ1ミリか2ミリほどの大きさしかなく心細い。だが、鮮やかな緑が美しい。植物は水をやれば芽を出す。人間と違ってきちんと応えてくれるからいい。

 

何かありましたか。

 

 

 

▼自宅の前に停めてある営業車の会社を調べ「お宅の社員がサボっています」と、会社に告げ口をするのが趣味の卑屈君という人がいる。卑屈君は前から被害妄想気味なところがあって「誰かに監視されている気がする」という。話を聞いてみると、家の表札の隅に小さく印が付けられているらしい。泥棒とか訪問販売の人間が、住民の情報を共有するのにそういった印を付けるというのは聞いたことはある。一人暮らしだとか、老人だとか、気弱で商品を買わせやすいとか。

 

スマホで撮った表札の画像を見せられる。かすかに「×」と書かれているようにも見えるし、ただの傷のようにも見える。仮に「×」だとしても情報が少ないようにも思う。ここに住んでいる人間はダメな人、というなら正解だけど。「これは絶対に泥棒ですよ。狙われてるんですよ!」と興奮気味の卑屈君である。

 

「そんな心配なら警察に相談したら?」といってみたが、このかすかな印だけで警察に行くのはさすがに気が引けたらしい。「大丈夫。防犯対策はしました」と自信満々なので、防犯カメラでも付けたかと思えばそうではない。彼の住むアパートの他の住人の表札全部に「×」を書いてきたとのこと。正真正銘のクズを見た。お巡りさん、コイツですコイツ。

 

 

 

▼BSでは原節子の映画をまとめて放送しているらしく何本か観る。小津安二郎成瀬巳喜男が監督した1950年代のものが多い。ハリウッドや韓国映画ですさまじい拷問や暴力を観た後、こういった作品を観ると不思議な気分になる。ささいな仕草、視線の運び方に登場人物の細やかな気持ちが表れている。たいした事件は起きないし、見ようによってはずいぶん退屈だ。

 

薄味の食事を続けていると味覚が鋭敏になる。ちょっとした味の変化もそうだが素材そのものの味を感じる。それと同じで小津映画などを観続けていれば、多少は人情の機微などもわかるようになるだろうか。たくさんの映画をただ観続けていても、味つけの濃さで味覚が麻痺するようなこともあるかもしれない。ちょっと静かなものを観るのもいいかなあと思っている。

 

そんなこといいつつ、頭が派手にぶっ飛ぶタランティーノ監督の「ヘイトフル・エイト」を観ました。罵倒、罵倒、暴力、罵倒というような。濃いったらありゃしない。これはこれでジャンクフードの美味しさ。たまらん。他にはフランス映画「エール!成瀬巳喜男監督「山の音」などの感想を書きました。