玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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和歌

▼会長が入っている俳句の会の手伝いに。手持無沙汰で、その場にあった百人一首の本をめくる。恋の歌が多い。百人一首平安時代の公家・藤原定家が選んだものである。今まで考えたことがなかったが、百人一首などの歌はどうやって集めたのだろう。既存の歌集から選んだのかもしれないが、その歌集もどうやって成立したかが不思議。当時、役所などに掲示して募集したのだろうか。その募集の貼り紙を見て応募してきたのかな。

 

だが、こういった短歌はどう考えればいいのか。

 

壬生忠見 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか

 

訳 わたしが恋をしているという噂が、もう世間の人たちに広まってしまったようだ。人に知られないよう、密かに思いはじめたばかりなのに。  

この歌はどんな経緯で集録されたのだろう。内容からして、本人は百人一首に入れてほしくなかったと思うのだけど。隠したいのにに宣伝されてしまったような。テレビやネットもないのに広まってしまうのはすごいことかもしれない。他にも式子内親王の歌も似たようなことを歌っているがより激しい。いっそ死んでしまいたいというようなことをいっている。

 

 

恋の相手に送ったと思われる歌が載っている場合もある。

 

藤原義孝 君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな

 

訳 あなたに会うためなら惜しいとは思わなかった私の命だけど、こうしてあなたと会うことができた今は、いつまでも生きていたいと思っています。

 

これはけっこう恥ずかしいのではないか。恋の相手だけが読むと思っていたはずなのに。義孝にしてみれば「あの女、なに大々的に発表してくれてんだ」という。あの時代に週刊文春があるなら、義孝の相手は記者に情報を売るようなタイプに違いない。赤裸々なLINEの内容が流出したというニュースをよく見かけるけれど、平安時代だってそう考えればけっこう流出している。東京03の豊本さんも災難でしたね。「お尻だって舐めるよ」などという恥ずかしいLINEが流出してしまって。平安時代なら「お尻だって舐めるなりけり」で和歌になったのに。

 

歌集に編まれたような歌以外にも、世間には発表されず恋人たちの間だけでやりとりされたすばらしい歌が何千何万とあったのだろう。

 

そういえば、先日、部長がこんなことをいっていた。俳句や短歌の形はとっていないものの、何か歌のような響きをもって聴こえたのだ。

 

「今日は、心を鬼にして嫁を抱く」

 

何をいってるんだ、おまえは。と思いましたね。